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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月17日(木)21時49分19秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.17
ルカによる福音書

◆「放蕩息子」のたとえ
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の
分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立
ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は
食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人
は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物
をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の
雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に
対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」
と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く
離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、
接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに
対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来
て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つか
ったからだ。』そして、祝宴を始めた。
***
これは「放蕩息子」と呼ばれているたとえ話の前半の部分で、弟息子につい
てのお話です。
この弟は父から離れ、父からの財産を使い果たしてしまい、よれよれになっ
て初めて父親の寛容さや優しさに気づき、そこに戻っていくという話になっ
ています。そして、父親はこの息子を喜び迎え、赦し、大宴会を開くという
流れが書かれています。どう考えても、優しすぎる感じがしますが、イエス
様は、この父親の姿の中に父なる神様の姿を表明しているのです。放蕩息子
と自分の姿を重ねることができるでしょうか。どちらかといえば、不真面目
な生活を送ったことがある人は重ねやすいかもしれません。私は真面目でし
たから弟のような人は嫌いですという方、後半をぜひ楽しみにしていてくだ
さい。あなたの姿がでてくるかもしれませんので。それにしても、弟息子の
驚き、喜び、それにもまして父の喜びが伝わってきそうなお話ですね。レン
ブラントの「放蕩息子の帰還」という絵がありますが、ふと、思い出しまし
た。
父なる神は、あなたの帰還を待っています。
祝福がありますように。

++

【空の中の真実:コヘレトの言葉】

7:1 名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる。
7:2 弔いの家に行くのは/酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終り
がある。命あるものよ、心せよ。
7:3 悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ。
7:4 賢者の心は弔いの家に/愚者の心は快楽の家に。
++++
「名声」と「香油」がヘブル語の語呂合わせになっているのですが、香油は
外見を良くするための化粧品、名声は良い人格をあらわす言葉。したがって
外見を良く見せることよりも良い人格を評価されるようになったほうが良い
という意味になります。
弔いの家には死があるわけですが、そこで人は命について真剣に考えないわ
けにはいかなくなります。
そのほうが酒宴の家で騒ぐよりも人生を真面目に考えるので良いのだとコヘ
レトは言います。
笑いだけを求めていると軽薄なことで紛らわせるような生き方になるけれど、
悩みを通過する中でだんだん大人としての正しい判断を下すことができるよ
うになっていきます。「心は安らぐ」とは、そういう状況を語っています。
つまりこの箇所では、「時に、真剣に、真面目に生きなさい」という勧めの
格言が並んでいるのです。
祝福がありますように。


       関根一夫




http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月16日(水)13時19分47秒
返信・引用
  日々の聖句
2012.05.16
ルカによる福音書
◆「無くした銀貨」のたとえ
15:8 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を
無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れ
て捜さないだろうか。
15:9 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くし
た銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天
使たちの間に喜びがある。」
***
この女性がなくした銀貨は10枚で一セットになっていて、それを婚礼の
際に額に飾るためのものと言われています。ですから、そのうちの1枚が
なくなったとなると残りの銀貨だけでは使えないことになり、困るわけ
です。
必死になって探している様子が浮かんでくるようです。そして、イエス
様は、この銀貨を探す女性の姿と独り子を遣わしてでも失われた人を探
し出そうとしている神様の心をダブらせているのです。
そして、見つけ出した時の喜びが見事に書かれています。近所の人たち
と一緒に喜ぶほどの大きな喜びだったのです。
それは、私たちを見つけ出したときの神様の喜びの心でもあるのです。
祝福がありますように。


++

【空の中の真実:コヘレトの言葉】
6:10 これまでに存在したものは/すべて、名前を与えられている。人間
とは何ものなのかも知られている。自分より強いものを訴えることはで
きない。
6:11 言葉が多ければ空しさも増すものだ。人間にとって、それが何にな
ろう。
6:12 短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福と
は何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれ
るものは、太陽の下にはいない。
***
人間にとっての幸せとは何なのか?自分のことも、他人のことも、この
世のすべての事ごとについて「名前」で特定でき、名前と一緒に説明が
なされ、すべて知られてしまう。名もないほどの貧しい人たちでさえ、
実は名前を持っており、神はどんな小さな存在でもご存じです。
しかし、誰もが同じ生き方をしているわけではなく、だれもが同じこと
を考えたり、感じたりしているわけではないし、ましてや、死の先に何
が待っているのかというようなことについては、誰も確信をもって教え
られる人はいない。
存在は人にも神にも知られているのに、自分には明日のことがわからな
い、不安定な状況に陥りやすい私たちなのです。
コヘレトの溜息が聞こえてきそうな文章が続きます。
しかし、冷静に考えてみると、もし、本当に神に私たちの存在が知られ
ており、そしてもし神の愛の対象となっているなら、祝福は明確です。
ただ、もし、神の怒りの対象になっているとしたら、大問題ですね。
その辺の状況把握が必要です。
祝福がありますように。



    関根一夫






http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)15時04分13秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.15
ルカによる福音書
◆「見失った羊」のたとえ
15:1 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
15:2 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを
迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
15:3 そこで、イエスは次のたとえを話された。
15:4 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失
ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜
し回らないだろうか。
15:5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
15:6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたの
で、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:7 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改
める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
****
ここでのイエス様に対する批判は、その寛大さに対するものでした。「あん
な罪びとたちなど放っておけばよいのだ」と宗教指導者たちは考えていまし
た。彼らは律法も守れず、神に赦されるはずも救われるはずもないのだから
と考えていたのです。
しかし、イエス様の見方は違いました。それらの人たちは、迷っている人た
ちであって、本来は神の家族に所属している人たちなのだという見方でした。
だから、自分のところで飼っている羊として探しに行くというたとえを話さ
れたのです。
迷う羊一頭のためにでも、何をさておいても探しに行く羊飼い。これはまさ
に神様の私たちに対する心の表明として理解される必要があります。迷子の
状態のまま放置されるのは、健全ではないし、神様の願っていることではな
いのです。イエス様が来てくださったのは、そういう私を救うため、そうい
うあなたを探し出すためでした。
祝福がありますように。

++


【空の中の真実:コヘレトの言葉】
6:7 人の労苦はすべて口のためだが/それでも食欲は満たされない。
6:8 賢者は愚者にまさる益を得ようか。人生の歩き方を知っていることが/
貧しい人に何かの益となろうか。
6:9 欲望が行きすぎるよりも/目の前に見えているものが良い。これまた空
しく、風を追うようなことだ。
****
働いても働いても不足があり、知的好奇心を満たすことはできても、それで
他者を益することは簡単ではありません。
人生は自分の糧を得ることができ、過度の期待をしすぎずに、しかし探究心
や好奇心を燃やしながら、他者のための祈り、そういう自分の人生を喜べた
ら、満足度が高くなるのでしょうね。
何によって「満ち足りた意識を伴う敬虔な心」を持てるようになるのか、そ
れが人生のチェックポイントなのかもしれません。
祝福がありますように。


  関根一夫








http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)14時49分1秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.14

ルカによる福音書
◆塩気のなくなった塩
14:34 「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何
によって味が付けられようか。
14:35 畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のあ
る者は聞きなさい。」
++++
塩は生活の必需品であり、味付けのためにも、腐敗防止のためにも大事なも
のです。しかし、塩が塩気をなくしたら役に立たないものとなってしまいま
す。存在価値が実に乏しくなってしまいます。
一般的には、それは、「きよさや忠誠心」を失くしてしまうこととして理解
されています。神とのかかわりの中で養われる「清さや誠実に従う決意」「謙
遜と従順」などを放棄してしまうような生き方への警告です。
同時に、教えは知っているけれど、実際の生活にそれが生きていないという
状況のこととしても理解できます。塩であることには間違いないのですが、
その「塩が愚かにされてしまっている」というのが原語の訳です。つまり、
塩が塩であることを忘れてしまっているというのです。自分が主に愛され、
主に役割を託されていることを忘れてしまっているような生き方をしている
なら、結局役に立たなくなってしまうという警告です。心にしっかり覚えて
おきたい言葉です。
祝福がありますように。

++++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

6:1 太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのを
わたしは見た。
6:2 ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠
けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかっ
たので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なこ
とだ。
6:3 人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、
財産に満足もせず/死んで葬儀もしてもらえなかったなら/流産の子の方が
好運だとわたしは言おう。
6:4 その子は空しく生まれ、闇の中に去り/その名は闇に隠される。
6:5 太陽の光を見ることも知ることもない。しかし、その子の方が安らかだ。
6:6 たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、
何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから。
+++
この人の発想の中には天国とか地獄という発想はなく、死んだらみんな同じ
ところに行くという風に理解しています。旧約聖書ではそういう発想が強い
です。
さて、ここにも不幸な人の姿が出てきます。物質的には恵まれているのに、
満足できない人の姿です。
幸福は必ずしも持ち物と比例しませんね。長寿を誇り、リッチな生活をして
いても、その心には幸福感がないとしたら、感謝の心が失せてしまい、愛す
ることもできないとしたら、確かに辛い人生になると思います。感謝の心を
持ち続けることは、大事なことです。
生きているということにさえ感謝。これはとても幸せなことだと思います。
祝福がありますように。


  関根一夫

http:// 

 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月13日(日)19時21分54秒
返信・引用
  神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。


      第二コリント 9:8

http:// 

 

スウィーツバイブル   みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月13日(日)19時05分19秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、前回に引き続きローマの信徒への手紙10章1-2節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。


――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

前回は1節、「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています」というみことばから、パウロがどれだけ自分の同胞であるイスラエルの民のことを思っていたか、どういう思いで祈っていたかについて、ご一緒に学びました。

今日はそのイスラエルの民がどういう状態であったのか、パウロがそれ程までに彼らのことを思っていた理由についてを2節からご一緒に学ぶこととします。


2節をご覧下さい。
「わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。」

パウロはイスラエルの民のことを「熱心に神に仕えている」と語っています。そしてパウロ自身がそのことの証人であり、そのことを証しすると言っています。

イスラエルの民は本当に熱心ですね。彼らは熱心に神様にお仕えし、神様が彼らに与えられた律法を忠実に守ろうとしています。その熱心さはもの凄いです。
その中でもパリサイ派という派の人たちが熱心であったのですが、パウロもかつてパリサイ派のラビでした。だからパウロ自身が証人だと言ったのです。自分がかつてやってきたことなので、その熱心さのものすごさは自分自身がわかっていたのです。経験者ならではの彼らに対する思いなのです。

イスラエルの民は本当に熱心です。そのことをパウロは自分も経験したから重々承知し、そのことを認めています。しかし、その後、パウロは気になることを語っています。
「この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。」

パウロはイスラエルの民の熱心さは正しい認識に基づくものではないのだと語っているのです。本当にそうですか?
だって、ラビたちは聖書の専門家であり、今でいう旧約聖書の知識に長けていました。
それに彼らの礼拝も神様がモーセに命じられた方法に乗っ取って行っていたし、知識があるから熱心だったのです。決して勢いだけで行動していたのではありません。

これはどういう意味なのでしょうか?
新共同訳聖書では彼らの熱心について「正しい認識に基づくものではありません」と訳しています。
この「正しい認識」を口語訳聖書では「その熱心は深い知識によるものではない」と訳されています。
そして新改訳では「その熱心は知識に基づくものではありません」と訳しています。

3つの聖書の訳を比較すると、新改訳聖書の「知識」、新共同訳聖書の「正しい認識」、そして口語訳聖書の「深い知識」となっています。

新改訳聖書の「知識」では訳として不十分です。ここで言っている知識とは「正しい認識」であり、「深い知識」のことです。

この知識、ギリシャ語では「エピ・グノーシス」と言います。
グノーシスとは知識という意味です。グノーシス派という異端がパウロの時代からいますが、彼らは特別な知識を受けることが救いだと教える異端です。

しかしここで語られている知識はただのグノーシスではなく、「エピ・グノーシス」です。
この意味は部分的な知識ではなく、「充全の、完璧な知識」です。
ですから新改訳聖書の「知識」では訳としては不十分なのです。

つまり、イスラエルの民は確かに知識は持っていましたし熱心でした。しかしその知識は正しい、深い知識では無く、中途半端な知識だったのです。

ではどう中途半端だったのでしょうか?
それは「キリストにあって」神様を知ることが無かったということです。
彼らはイエス様を拒否し、イエス様を通して神様、つまり天のお父様を知ろうとしなかったのです。

聖書は一貫してイエス・キリストを指し示しています。旧約聖書において創世記1章において受肉前のイエス様が現われ、そしてアダムとエバが蛇に騙されて善悪知識を知る木の実を食べ、自分が裸であることを知り、彼らはイチジクの木の葉で腰を覆いました。それに対して神様は皮の衣を着せました。実はこの皮の衣、それがイエス様の十字架の型なのです。皮を作るには動物を裂く必要があります。そして血が流れます。つまり動物の犠牲によって出来たものです。神様は将来の十字架の救いをここで皮の衣という形で現わされたのです。

この様に聖書は一貫して救い主をこの地に送る、その救い主、つまりメシアはイスラエルの民の救いのために来られるのだと約束されています。だから最初イエス様はイスラエルの民のために働かれました。

しかし彼らはそのイエス様、つまり聖書を通して約束していた自分たちのメシアを拒否したのです。そのことをパウロは嘆いていたのです。

イスラエルの民は熱心でしたが、正しい熱心、正しい知識に基づくことではありませんでした。私たちはどうでしょうか?
彼らのことを決して笑うことは出来ないと思います。
もちろん聖書学者になるようにとか、そういうことを言っているのではありません。
案外聖書に基づかない、自分の頑張りによる熱心をしていたのではないでしょうか。
イエス様は私たちの内に住んでいてくださいます。そのイエス様に依り頼み、イエス様に導いて頂くのではなく、自分の考え、自分の思いで行動し、自分の理想を神様に求め、熱心に行動していないでしょうか?
どんなに熱心であってもイエス様に依り頼まない熱心はパウロがここで言っている「正しい、深い知識、認識に基づくことではない」ということです。

頑張りを卒業し、私たちの内にいますイエス様に信頼し、依り頼む信仰者として今日一歩踏み出しませんか?
その時、私たちは単なるグノーシスからエピ・グノーシスへと変えられます。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。


★☆★☆★☆★☆

http:// 

 

礼拝メッセージ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月13日(日)18時45分25秒
返信・引用
  MACF礼拝説教要旨
2012.05.13


フィリピの信徒への手紙から2

「パウロの生き方」

1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
++
パウロという人は不思議な人です。かつては、キリスト教徒を迫害し、ファ
リサイ派の指導者として有望な人でしたが、迫害に向かう途中で光の中のキ
リストと出会い、すっかり方向転換して、キリスト教徒となり、それどころ
か、キリストの福音とイエスこそキリストであるというメッセージを語る人
になったのですから。
この大転換は周囲の人を驚かせ、結果的には、ユダヤ人たちからも「裏切り
者」として憎まれ、クリスチャンたちからも「かつての迫害者」として恐れ
られることになりました。しかし、その生き方は峻烈でした。
牢の中にいながら、彼は「喜び」の手紙を書いていると前回学びましたが、
そればかりでなく、彼はますます「キリストこそ、わたしのすべてである」
という告白と、キリストに従って生きるようにという奨励を書いているので
す。

1)生きることはキリスト。
金太郎飴というのがありますが、イエス様に出会ってからのパウロの人生は、
どこを切っても「主キリストの赦し恵みの素晴らしさ」を伝えたい気持ちが
あふれています。どこにいても、何をしていても、彼はキリストの恵みの中
に生かされていることを感謝しているのです。自分がキリストのために有益
な生き方ができるなら、自分を通してキリストの素晴らしさが表現されるな
ら、それで大満足という生き方なのです。

2)キリストの模範:謙遜と従順
イエス様が神から遣わされ、従順に十字架の死にまで従ったという従順で謙
遜な生き方はパウロの心を捉え続けました。キリストを信じて心の中に新し
い基準をいただいた私たちにも、キリストの生き方に倣うようにと勧めてい
ます。パウロの生きる姿勢でもありました。「謙遜と従順」です。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられる
ものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執し
ようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられまし
た。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えに
なりました。
 この姿勢は神に対してばかりでなく、お互いに対してもこういう資質を身
に着けるべきだとパウロは勧めているのです。神に対しては謙遜、でも、人
に対しては高慢というのではまずいのです。私たちはどこにいても、「謙遜
と従順」を自分の中に保つ必要があります。それは努力によってではなく、
キリストによって生かされていると自覚しながら生きることによって整えら
れるのだと思います。主の前に謙遜な礼拝者として生きることで身について
くるものです。

3)まだまだこれから:目標を目指して、前向きに
3:12 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となって
いるわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分
がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
3:13 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきこ
とはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
3:14 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るため
に、目標を目指してひたすら走ることです。
 パウロは、すでにたくさんの知識と経験を積んでいました。しかし、それ
でも、キリストを通してもたらされる神の恵みの内容を十分にはわかってい
ない、自分はまだ完成しているわけではないと知っていました。だからこそ、
前向きにひたすらにキリストを学びキリストに教えられつつ生きようとして
いたのです。何歳になっても、この姿勢を保てたら魅力的だと思います。自
分は完成からは程遠く、神の恵みはまだまだ十分にはわかっていないという
自覚を持ち、謙遜に、しかし真剣にそれを追い求める姿勢はとても大切です。
信仰的良心、学問的良心を磨きつつ、人格を恵みによって練り上げてもらう
ことについて、私たちは常に前向きに、しかも、新鮮に求めるものでありた
いと思います。パウロはまさに、そういう生き方をした人でした。フィリピ
の信徒への手紙にはそういうパウロの心情があふれています。
そしてこの生き方こそ、パウロの「心を守る」生き方だったのです。

祝福がありますように。


    関根一夫




http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月12日(土)14時38分45秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.12

ルカによる福音書

◆弟子の条件
14:25 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。
14:26 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、
兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの
弟子ではありえない。
14:27 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わた
しの弟子ではありえない。
14:28 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な
費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
14:29 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あ
ざけって、
14:30 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろ
う。
14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の
兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかど
うか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。
14:32 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和
を求めるだろう。
14:33 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたが
たのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
+++++
弟子として歩むことの厳しさがここに求められています。家族への愛、自分
に対する愛よりもイエス様への愛を優先する姿勢、十字架を負うという姿勢、
自分の財産を捨てる覚悟など、それこそ、頑張りでは到底応答できない姿勢
がここには書かれています。きっと、こういう文章を読むと不安になって、
自分は救われないのではないかと悩む人もあるかもしれませんね。
キリストを主、救い主として受け入れ、信頼し救いを得るということと、弟
子として歩むという出来事は別のことだと思います。弟子となれるかなれな
いかには関係なく、救いは十字架と復活の出来事によってもたらされていま
す。ですから、救いについては心配は不要です。
イエス様は12弟子をお選びになりました。弟子として選ばれている人たちは、
応答すべきです。
ある人は、こういう生き方を提示され、ある人は社会で普通に生きるように
召されていると思います。
主が選んでくださったのであれば、その道を生き抜く力も与えてくださいま
す。救われる人たちは多いのですが、弟子となって働き手として仕える人は
多くありません。ただ、弟子の心で生きるようにと、聖霊はイエス様を信じ
る者の中にそういう意欲を育ててくだいます。礼拝の際には、各自が、こう
いう意識で主の前に立っているのです。
祝福がありますように。
++++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:14 人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。
労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。
5:15 これまた、大いに不幸なことだ。来た時と同じように、行かざるをえな
い。風を追って労苦して、何になろうか。
5:16 その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない。
5:17 見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、
飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で
良いことだ。それが人の受けるべき分だ。
5:18 神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきま
え、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。
5:19 彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを
与えられるのだから。
+++
今生かされていることを感謝し、今与えられているものを感謝し、喜びの心
を表明しつつ生きること、礼拝しながら生きることこそ、人生の幸福につな
がるとコヘレトは感じています。
人生は短く、悩みも多いのですが、その間、投げやりにならず、結果を受け
止め、自分を受け入れ、神の配慮を信じて感謝することを覚えること、それ
ってとても大切な人間の道です。
人は裸で母の胎を出たように、裸で帰るのです。どんなに財を持っていても、
有名でも同じです。
厳粛な事実です。
この日、この日を丁寧に生き、喜びや感謝を神にも人にも表明しながら、生
きましょう。
祝福がありますように。


  関根一夫






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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月11日(金)10時26分2秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.11

ルカによる福音書
◆「大宴会」のたとえ
14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で
食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。
14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、
大勢の人を招き、
14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用
意ができましたから、おいでください』と言わせた。
14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行か
ねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。
14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くとこ
ろです。どうか、失礼させてください』と言った。
14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』
と言った。
14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、
僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な
人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』
14:22 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席
があります』と言うと、
14:23 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来
て、この家をいっぱいにしてくれ。
14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者
は一人もいない。』」
+++
「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう」と自画自賛する客に
対してイエス様はたとえを話されました。その話では、盛大な宴会に招待さ
れた人たちにしもべが迎えに行くと、次々に言い訳とともに断られます。つ
まり、その場に及んで、それぞれに宴会よりも重要案件を口実に宴会出席を
拒否するのです。これはあたかも、イエス様に対する信頼を否定するユダヤ
教指導者たちの姿と重なります。

主人は怒って、しもべたちに「急いで町に出て行き決して普通は招かれない
と思われる人たちを集めてくるように」と命じます。その結果、最初に招か
れていた人たちは決して宴会には招かれず、食事を味わうことのできる人も
いないというのです。イエス様の福音を受け入れた人たちは、どちらかとい
えば当時の社会の底辺にいた名もなく、貧しい人たちでした。
神の国での食事への招きとは、イエス様を救い主として信じることへの招き
なのです。
言い訳せずに、先延ばしせずに、信じることができますように。
祝福があるよう、心からお祈りします。


  関根一夫


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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月11日(金)10時15分6秒
返信・引用
  ルカによる福音書
◆客と招待する者への教訓
14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえ
を話された。
14:8 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の
高い人が招かれており、
14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と
言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
14:10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あな
たを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。
そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。
14:11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催
すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。
その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自
由な人、目の見えない人を招きなさい。
14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。
正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
*****
社会生活上、高ぶった態度で人に接することがないようにという警告が書か
れています。もし招待してくれた人が上席にどうぞと言ってくれるのであれ
ば、良いけれど、そうでないときには末席に座るようにという勧めです。当
時の宗教指導者たちは、きっと好んで上席を自ら選んでいたのかもしれませ
ん。そういう心をイエス様は戒めています。
また宴会を催すときにはお返しの出来ない人たちを選びなさいと勧めていま
す。
心の高ぶりが、神の前にどれほど醜いものなのか、伝わってきます。
そういう姿勢で生きられますように。
祝福を心からお祈りします。



+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:7 貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの
国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら/身分の高い者が、身分の高い者を
かばい/更に身分の高い者が両者をかばうのだから。
5:8 何にもまして国にとって益となるのは/王が耕地を大切にすること。
++++
不正や搾取が横行している国では一般人は、虐げられ、生活は苦しくなる一
方ですが、これはいつの時代にもあったことのようです。
王が、耕地を大切にするなら、農夫は仕事ができ、また、収益を上げ、食べ
るための穀物を手に入れることができるので、かろうじて生活することがで
きるようになります。その耕地さえも大切にできないようだと国はますます
疲弊することになります。
「耕地あっての国」という原則は、現代日本においては見直されるべき重要
な課題だと思います。すべての人が農夫ではありませんが、すべての人が何
かを食して生きているからです。
「腹がへっては戦はできぬ」とのことわざ通り「食物の自給率低下」は国民
にとって、楽観視できない深刻な出来事です。
祝福がありますように。

関根一夫

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 9日(水)13時08分32秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.09

ルカによる福音書
◆安息日に水腫の人をいやす
14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の
家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやして
お帰しになった。
14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ち
たら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。
+++
安息日のさまざまな規定が何と人を不自由にし、神の愛の実践を妨げている
か、イエス様はこの箇所の中で示しておられます。もともとの安息日の規定
がどんどん細分化されて、本当に小さな動きさえも規定されることになって
いたのです。
神の愛が示される、人のいのちが助けられるのに、それを禁止するような特
別な日があってはならないのです。神は毎日、愛をもって私たちに迫ってお
られます。それには定休日はないのです。
祝福がありますように。

+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:1 焦って口を開き、心せいて/神の前に言葉を出そうとするな。神は天に
いまし、あなたは地上にいる。言葉数を少なくせよ。
5:2 夢を見るのは悩みごとが多いから。愚者の声と知れるのは口数が多いか
ら。
5:3 神に願をかけたら/誓いを果たすのを遅らせてはならない。愚か者は神
に喜ばれない。願をかけたら、誓いを果たせ。
5:4 願をかけておきながら誓いを果たさないなら/願をかけないほうがよい。
5:5 口が身を滅ぼすことにならないように。使者に「あれは間違いでした」
などと言うな。神はその声を聞いて怒り/あなたの手の業を滅ぼされるであ
ろう。
5:6 夢や空想が多いと饒舌になる。神を畏れ敬え。
++
言葉数が多いとどうしてもそれによる失敗も増えていきます。また、あせっ
て口を開くと同じようにとんでもない約束を口走ったりすることがあります。
言葉数を減らし、つまり、語る前に良く考え、吟味し、それから約束をすべ
きですね。これはもう人事ではなく、自分のこととして心に留めなければな
りません。
「口が身を滅ぼすことにならないように」振り返ると、失敗は大体、この辺
から始まっています。
気をつけたいですね。
祝福がありますように。


  関根一夫





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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 8日(火)21時43分10秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.08

ルカによる福音書
◆エルサレムのために嘆く
13:31 ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエ
スに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとして
います。」
13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追
い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝え
なさい。
13:33 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばなら
ない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
13:34 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々
を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の
子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主
の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決し
てわたしを見ることがない。」
+++
イエス様の断固とした使命を完遂する生き方が浮き彫りにされています。同
時にエルサレム、そしてそこにいる指導者や民衆のために嘆いている姿が描
かれています。神様は人をお救いになる際に、無理に人の心を力ずくで捻じ
曲げて立ち返らせようとなさいません。イエス様が涙するほどの頑固な集団
がそこには存在し、厳しい反発がそこにはありました。それでもなお、救い
主は前に進み、自分の命をかけて神の愛と赦しとを宣言するために十字架に
向かう必要がありました。その頑固な反発のゆえに彼らは神様から見捨てら
れるとさえイエス様は語りました。そういう切迫感をイエス様はお持ちです
が、当事者たちはまったくそういう風には考えていませんでした。ここに何
ともいえない人間の愚かさを感じます。
主は、そういう愚かさをもった私たちのためにも、泣かれました。
祝福がありますように。

+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:13 貧しくても利口な少年の方が/老いて愚かになり/忠告を入れなくなっ
た王よりも良い。
4:14 捕われの身分に生まれても王となる者があり/王家に生まれながら、卑
しくなる者がある。
4:15 太陽の下、命あるもの皆が/代わって立ったこの少年に味方するのを/
わたしは見た。
4:16 民は限りなく続く。先立つ代にも、また後に来る代にも/この少年につ
いて喜び祝う者はない。これまた空しく、風を追うようなことだ。
4:17 神殿に通う足を慎むがよい。悪いことをしても自覚しないような愚か者
は/供え物をするよりも、聞き従う方がよい。
+++++
聞き従うこと、忠告に耳を傾けることは、年齢とともに難しくなっていきま
すが、それをきちんと注意している文章です。
そして若者が年寄りに代わり、出身がどこであれ、知恵ある若者が台頭して
くる様子が描かれています。実に晴れやかな、実に麗しい出来事です。しか
し、残念ながら、そういう人気がいつまでも続くわけではありません。民の
心は、実際のところあてにはできません。どんなことがきっかけで反旗を翻
すようになるかわからないからです。民意と言いますが、どんなときでも常
に公正ということはないように思います。やっぱり、踊らされ、操作されて
いる面と、気まぐれな面がありますね。
各自がしっかり心の土台をみ言葉の上に据える作業がとても大事なことなの
です。
祝福がありますように。


   関根一夫






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今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 7日(月)11時06分2秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年5月7日(月)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 【主】を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。
主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。
まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、
御顔を隠されもしなかった。むしろ、
彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。
大会衆の中での私の賛美はあなたからのものです。
私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。
悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、
【主】を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。
地の果て果てもみな、思い起こし、【主】に帰って来るでしょう。
また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。
まことに、王権は【主】のもの。主は、国々を統べ治めておられる。
地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、ちりに下る者もみな、
主の御前に、ひれ伏す。おのれのいのちを保つことのできない人も。
子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。
彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。」
            詩編22:23-31【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 7日(月)10時47分54秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.07

ルカによる福音書
◆狭い戸口
13:22 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでお
られた。
13:23 すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。
イエスは一同に言われた。
13:24 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとして
も入れない人が多いのだ。
13:25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがた
が外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お
前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。
13:26 そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、
また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。
13:27 しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、
皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。
13:28 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが
神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣き
わめいて歯ぎしりする。
13:29 そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会
の席に着く。
13:30 そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
*******
神様の計画にはタイムリミットが設けられています。これはすべての人に訪
れる「死」を区切りと考えるとわかりやすいかもしれません。死の前に決め
なければならないことがあるということです。また、どんなに楽しい交わり
の時を持ち、教えの場に参加したことがあっても、「狭い戸口から入る」と
いう出来事を通過していないと最終的には否定されてしまうとイエス様は警
告なさいました。
狭い戸口から入るとは、「個人個人が自分の問題として救いを求める意識を
持つ」と考えることが出来ると思います。みんなと一緒に楽しむことが悪い
わけではありません。でも、神様からの「救い」を受け取る場合には「みん
なと一緒」という側面よりも「自分と神」という関係を重視していく必要が
あるのです。
「主よ、この私に救いが必要です」という自覚と信仰による求めが大切なの
です。プライドが砕かれる出来事でもあります。でも、そこが大事な鍵なの
です。広い戸口を行くなら、プライドが砕かれることはないのですが、イエ
ス様は、あえて狭い戸口を勧めています。
祝福がありますように。


+++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:8 ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。際限もなく労苦し、彼の
目は富に飽くことがない。「自分の魂に快いものを欠いてまで/誰のために
労苦するのか」と思いもしない。これまた空しく、不幸なことだ。
4:9 ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
4:10 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友の
ない人は不幸だ。
4:11 更に、ふたりで寝れば暖かいが/ひとりでどうして暖まれようか。
4:12 ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れに
くい。
+++
独りよがりな男の空しさが語られ、ひとりより、ふたりのほうが良いと著者
は結論づけています。
人間は誰かと関わりながら、誰かと絆を結びながら生きないと、人間らしさ
を保つことは難しいのです。創世記の2章にある言葉を思い出します。「 2:
18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者
を造ろう。」
夫婦であれ、親子、兄弟、友人、仲間、いろいろなかかわりがありますが、
それぞれ意味深い、関係であり、有益です。必ずしもそれらの関係を維持す
ることは容易ではありませんが、誰かと一緒に、誰かを大切にしながら生き
ることは自分の人生も相手人生も豊かにする生き方なのです。
祝福がありますように。


  関根一夫







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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 6日(日)18時40分42秒
返信・引用
  悪はどんな悪でも避けなさい。

 第一テサロニケ 5:22

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礼拝説教要旨

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 6日(日)14時50分45秒
返信・引用
  MACF礼拝説教要旨
                              2012/05/06

フィリピの信徒への手紙その1
「パウロの喜び」
++
フィリピの信徒への手紙はパウロによる「獄中書簡」と呼ばれている手
紙のひとつです。獄中書簡は他に「エフェソの信徒への手紙」「コロサ
イの信徒への手紙」があります。
パウロにとってフィリピの教会の創設は大変興味深い出来事でした。使
徒16章にそのいきさつが書かれています。パウロは、シラス、テモテ、
ルカと共に、第2回伝道旅行の際にこの町に短期間滞在しました。その期
間に紫布の商人リディアとその家族が信者となり、その後パウロらが占
いの霊につかれた女奴隷のいやしの事件で投獄されるのですが、夜中の
地震のあと、看守とその家族も救われることとなりました。「主イエス
を信じなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます」とい
う有名な言葉がその時に語られます。こうしてフィリピ教会は誕生した
のです。フィリピ教会はヨーロッパで最初に出来た教会の一つでありま
した。
さて、この手紙は獄中で書かれたにも関わらず、「喜びの手紙」と呼ば
れています。今日は、パウロにとっての喜びとは何だったのか、彼が何
を喜んでいたのかを学びましょう。要旨だけ書き出してみます。

1)彼らの存在・信仰の保持と絆の深まり

パウロはフィリピの人たちが貧しさの中にありながら、信仰をしっかり
保っていることを心から感謝し、喜んでいます。1:3-6 2:17参照
さらに、彼らがパウロとの絆をしっかり継続しており、彼が獄中にいる
ことを聞いて心配し、贈り物を届けてくれた、愛の行為についてパウロ
は大いに喜んでいます。4:10-20参照
貧しいフィリピの人たちからの獄中への贈り物はきっとパウロの心を励
ましたと思います。目を輝かせ、心をワクワクさせながらこの手紙を書
いている様子が浮かぶようです。

2)パウロの現状認識と現状受容

パウロは投獄されていますから、状況的に厳しいはずです。それこそい
つ処刑されるかわからないような緊張感の中にいるのです。しかし、彼
はそういう状況の中でも大いに喜んでいます。
それは、彼の牢にいることが、福音の前進に役だっていると彼が感じて
いるからです。自分が投獄されたことで看守たちが福音に興味を持ち、
また、残された信徒リーダーたちが自分たちで福音を語らなければと自
覚していることを知り、パウロは感謝し、喜んでいるのです。
自分が企画し、自分で活動し、自分で評価を受けるという一般的な活動
とは全く別な価値基準がここにあります。自分は動けず、自分は語れず、
自分は不自由な貧しい状況の中にいるにもかかわらず、他の人が活躍し、
他の人が評価を受けるということについてパウロは、それを喜ぶ心を持
っているのです。

3)喜びへの勧め

4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はす
ぐ近くにおられます。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込
めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と
考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
喜びを妨げるものは「思い煩い」です。それを神に知ってもらうことで
心を軽くされ、神の平安を受け取ることが勧められています。

喜ぶ人になりたいですね。自分のことも、他者のことも。厳しい現状さ
えも。
祝福がありますように。


関根一夫







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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 5日(土)16時20分0秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.05

ルカによる福音書
◆「からし種」と「パン種」のたとえ
13:18 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえ
ようか。
13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長し
て木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
13:20 また言われた。「神の国を何にたとえようか。
13:21 パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やが
て全体が膨れる。」
****
からし種は、粒々のとても小さな種です。でも、それを蒔いて成長させると
とても大きな木になります。
パン種もパンをふくらませ、それによってパンらしく見えてきます。インド
カレーのとき食べるナンには、パン種は入っていません。
イエス様は、からし種とパン種を「神の国の拡大、ひろがり」に例えて語り
ました。それらは始まりは小さなものですが、いつの間にか大きくなり、拡
大し、膨張していくものとして神の国、神の恵みの支配による神の心の充満
を教えています。
最初は、神を自分の幸福のために利用していたような気持ちが、いつの間に
か神を礼拝する、つまり神のしもべとして生きることを喜びとするように変
化していくのですから、その支配の拡大は絶大です。
誰の心の中にもみことばの種が蒔かれると、そういう変化がもたらされます。
祝福がありますように。


+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:1 わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げ
られる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。
彼らを慰める者はない。
4:2 既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人
よりは幸いだ。
4:3 いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下
に起こる悪い業を見ていないのだから。
***
大きな災害や、さまざまな国の動乱、クーデターとその背後の民の苦難をニ
ュースで見たりすると、本当に慰めようもないほどの状況に言葉も出なくな
るような気持ちにさせられます。
生きていくことのなんと厳しく辛いことか。著者はここで、生まれてこなか
った者はそれらの悲劇を見ていないのだから、幸いだとさえ言います。
しかし、生きている今こそ現実であり、慰めも不足している状況こそが今日
なのだという人々が大勢います。
私は、そういう方々を励ます言葉がわかりません。「あなたが語る、『慰め
がありますように』などという言葉は、災難を受け入れる心の準備も出来て
いない被災者や被害者の方々にとっては、他人行儀で、とても冷たい、切り
離され、追いやられるような言葉と感じるのではないかと諌められたことが
ありました。そうかもしれません。
でも、「わたしの代わりにそこを通過してくれてありがとう」とつぶやきた
くなることがあります。何の関連もないようなその人の生き方や存在が、実
は深いところで関わっていることを感じるのです。つまり、その場に私が居
合わせる可能性はゼロじゃないんだよなと思うわけです。人は両親を選べま
せんから、私があの地域のあの人だった可能性はどこかにあるわけです。
人生は難しいものですね。
幸せな心が今日、もたらされますように。

   関根一夫






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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 4日(金)23時19分16秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.04
ルカによる福音書
◆安息日に、腰の曲がった婦人をいやす
13:10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
13:11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がっ
たまま、どうしても伸ばすことができなかった。
13:12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
13:13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神
を賛美した。
13:14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立
て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうが
よい。安息日はいけない。」
13:15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだ
れでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行
くではないか。
13:16 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていた
のだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
13:17 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエス
がなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。
+++++
安息日に「して良いこと」と、「すべきでないこと」がありました。それが
厳格に守られていることこそ「神への信仰深さ」と理解されていました。イ
エス様をとがめた会堂長は、イエス様が女性の上に「手を置いた」という行
為を安息日規定に違反していると責めたのです。それにしても、人が癒され
るのを見て「立腹」しているのはなぜなのでしょう。人の健康が回復するこ
とより、規則が守られることのほうが大事なのでしょうね。イエス様は、牛
やロバのためにさえ安息日に水を飲ませるために引いていくことはするのに、
アブラハムの娘、つまり信仰者で、不治の病にかかって18年も苦しんでいた
この人を解放し、命をもたらすことが悪いはずがないと教えたのです。愛の
ない律法主義集団の心の狭さが浮き彫りにされています。
しかし、こういう律法主義的傾向は私たちの身近なところにも案外入り込ん
できていないでしょうか。
人を愛し、人を生かすことよりも、厳格に規則を守ることを優先させるよう
な心は育っていないでしょうか。
祝福がありますように。

++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
3:16 太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるの
を。
3:17 わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべて
の出来事、すべての行為には、定められた時がある。
3:18 人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるの
は、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。
3:19 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をも
っているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
3:20 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に
返る。
3:21 人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。
3:22 人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだと
わたしは悟った。それが人間にふさわしい分である。死後どうなるのかを、
誰が見せてくれよう。
+++++
司法のもとにも悪が存在していることは、昔も今も変わらないことのようで
す。
そして、神はさまざまな試練を通して「人間も動物に過ぎない」ことを人に
わからせようとしていると述べます。すべて「死に行く存在」として同じだ
というのです。死後のことはわからないのだとも。
命あるものの光と影とでも言いましょうか、いのちは有限のものなので、あ
るときにこそ楽しめるのですが、亡くなる日が必ずやってきます。だからこ
そ、身の程を知った生き方が大切であり、いのちあるものを大切にしながら
生きる姿勢が命を託された私たちの重要な使命なのかもしれません。
今日もしっかり生きたいものです。

祝福がありますように。

   関根一夫







 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 3日(木)19時41分16秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年5月3日(木)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「  わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚した
わたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前で
あなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、
わたしが【主】であることを知ろう。──神である主の御告げ──
わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、
あなたがたの地に連れて行く。
わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、
あなたがたはすべての汚れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる。
あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、
あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。
わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、穀物を呼び寄せてそれをふやし、
ききんをあなたがたに送らない。
わたしは木の実と畑の産物をふやす。それであなたがたは、
諸国の民の間で二度とききんのためにそしりを受けることはない。」
                エゼキエル36:23-30【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 3日(木)17時19分51秒
返信・引用
  今日の聖句
20120503
ルカによる福音書
◆「実のならないいちじくの木」のたとえ
13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじ
くの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探
しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地を
ふさがせておくのか。』
13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木
の周りを掘って、肥やしをやってみます。
13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、
切り倒してください。』」
***
ここで語られている実とは、「悔い改め」。そしてぶどう園は「イスラエル」
と理解されています。3年間も実りがないイチジクの木を見て主人は「切り倒
しなさい」と園丁に告げますが、ここで園丁が懇願して、猶予を取り付けま
す。「もう一年、彼が必死にがんばって実るように木の周りを掘ったり、肥
料を与えて育てて見ます」と彼は言うのです。
このたとえは、イスラエルが悔い改めの実を結ぶべきなのに、結んでいない
現状と、それに対する神の厳しい裁きがあるはずなのに、それが実行されて
いないのは、園丁のとりなしのお陰であり、神の忍耐のお陰なのです。神の
裁きは、園丁のとりなしによって猶予されているという、教えを自分の身に
置き換えると、神様の忍耐深さとイエス様のとりなしのお陰で、私たちは無
事に生きているということとつながってきます。祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
3:12 わたしは知った/人間にとって最も幸福なのは/喜び楽しんで一生を送
ることだ、と
3:13 人だれもが飲み食いし/その労苦によって満足するのは/神の賜物だ、
と。
3:14 わたしは知った/すべて神の業は永遠に不変であり/付け加えることも
除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
3:15 今あることは既にあったこと/これからあることも既にあったこと。追
いやられたものを、神は尋ね求められる。
++++
喜び楽しむ一生を送ることが出来る、まさに最も幸福な道を歩める人はどこ
にいるでしょうか。
衣食住に事足り、その苦労さえも人の役に立っていることを経験できている
ような、まさに神の賜物を享受することが出来る幸いな人はどこにいるので
しょう。
「神は人間が神を畏れ敬うように定められた。」と彼は書きました。つまり、
神を畏れ敬う姿勢を土台にして、神の賜る人生の祝福を味わうことが許され
ているという発想がここにあるようです。神を礼拝するのは、人間にとって
大事な定めであり、それを否定することは、神の祝福を否定することにつな
がり、それを自分の喜びと位置づけるなら、神との関係における幸せがもた
らされることになるのです。
祝福がありますように。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 2日(水)13時01分50秒
返信・引用
  今日の聖句
20120502
ルカによる福音書
◆悔い改めなければ滅びる
13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼ら
のいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。
13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭
ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。
13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んで
いたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。」
++++
ピラトがガリラヤ地方の人たち数人の血を彼らの宗教祭儀であるいけにえに
混ぜたという事件と、シロアムの塔が倒れて18人死んだという災難を、それ
は神からの天罰で、きっとたくさんの悪いことをしていた人たちに違いない
と言っている人たちがあったのでしょう。イエス様は、それを否定なさいま
した。
つまり、災難や災害は、悪い行いをしたに人も、そうでない人にも誰にでも
もたらされてしまうのです。
同時に神の裁きの座にもすべての人が立つことになります。しかし、悔い改
めてキリストによる罪の赦しの福音を信頼するなら、裁きの判定は救いであ
って、滅びではありません。
イエス様は、そのことを教えておられます。悔い改めとは、方向変換を意味
しています。いわば、Uターンです。神様の示された恵みの道へと方向転換す
るわけです。その力は聖霊が与えてくださいます。
祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】

3:1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
3:3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
3:4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
3:5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
3:6 求める時、失う時/保つ時、放つ時
3:7 裂く時、縫う時/黙する時、語る時
3:8 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
3:9 人が労苦してみたところで何になろう。
3:10 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与え
られる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許
されていない。
++++
私たちは時から時へと流れるように進んで行き、ことの初めから終わりまで
を見極めることはできません。そして、そういう時を待ち伏せして、捕まえ
るという作業も次に何が起こるのかわからないので、難しいものです。しか
し、私の一生の時とそこに置かれているチャンスやピンチを神に知られてお
り、神が心の支えとなって共に歩んでくださるのであれば、ずいぶん心強く、
前向きに進むことが出来るように思います。
また、今日が、辛いときだとしても、明日は明るい時になるかもしれません。
その逆の可能性もありますね。人が生きるということは、さまざまな状況の
中を右往左往しながら、流れるように日々を進むということでもあります。
私たちは時を支配したり、時を止めることはできません。
時の存在によって、人間の状況の不確実性やはかなさを思い知らされます。
だからこそ、心の支えとして誠実に生きること、また、神に信頼して生きよ
うとする姿勢はとても有益なものだと思います。
祝福がありますように。


   関根一夫







 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 1日(火)22時10分10秒
返信・引用
  自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。


      第一ヨハネ 1:9

http:// 

 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 1日(火)21時47分9秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年5月1日(火)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、
御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって
ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった
恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。
この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、
この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、
天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。
この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。
みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、
私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、
神の栄光をほめたたえるためです。
この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの
救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、
約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。
これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
                 エペソ1:4-14【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 1日(火)21時26分32秒
返信・引用
  今日の聖句
20120501
ルカによる福音書
◆訴える人と仲直りする
12:57 「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
12:58 あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその
人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官の
もとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。
12:59 言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出るこ
とはできない。」
++++
和解することは簡単な事ではありませんが、それでも感情的になり過ぎない
うちに、互いに「ごめんなさい」と「ありがとう」の両方を合せてを伝える
ことができれば、道は開けるように思います。一番重要なことは、できるだ
け早いうちに手を打つことかもしれません。時間が経ってしまうと、なかな
か和解のきっかけが見つかりにくくなります。ここにある話は神様との関係
についての終末論的な「たとえ話」と理解されていますが、実際の社会にお
ける出来事として理解すべきものでもあると思います。
今日が誰かとの和解の日になったら良いですね。「ごめんなさい」と「あり
がとう」の両方を丁寧に伝えてみたらいかがでしょう。
祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:20 太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。
2:21 知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった
者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なこ
とだ。
2:22 まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何にな
ろう。
2:23 一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空
しいことだ。
2:24 人間にとって最も良いのは、飲み食いし/自分の労苦によって魂を満足
させること。しかしそれも、わたしの見たところでは/神の手からいただく
もの。
2:25 自分で食べて、自分で味わえ。
2:26 神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人に
は、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えら
れる。これまた空しく、風を追うようなことだ。
+++
苦労を重ねても、自分が死ねば、苦労知らずの人のものとして相続されてし
まうことへの幻滅感、苦労の多い日々に対する疲労感を著者は描き、空しさ
を語ります。
そして、結論めいた文章が出てきます。自分の苦労で食物を得て飲み食いす
ることが出来たら、それを喜び、魂に喜びを経験すること。しかし、これは
自分の喜びというより、神によって与えられるものなのだということに彼は
気づきます。
しかし、神は善人に祝福をもたらし、悪人には労苦を与えるとコヘレトは言
います。そして、自分が善人でい続けることができないことを知り、つまり、
神の善しと認める人のところに祝福が渡されてしまうことを知り、空しさを
感じるのです。神を思いのままに動かすことができない現実に彼は愕然とし、
ある種の限界を感じているのでしょう。
しかし、「神」が出てきているところに、発想の展開があり、何か希望を感
じます。
祝福がありますように。


    関根一夫






http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨシュア  投稿日:2012年 4月30日(月)22時34分38秒
返信・引用
  今日の聖句
20120430
ルカによる福音書
◆時を見分ける
12:54 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
12:55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
12:56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
++++
天気予報については情報をきちんとキャッチし、的確に予想できるのに、救い主が到来しているという重大な時をなぜ理解できないのかとイエス様は、宗教指導者たちのことを嘆いています。当時、彼らは、天気予報と同じくらい、いいえ、それ以上、どういう時にどこに救い主がおいでになるのか、情報は持っていました。そして、民衆にそれを教えていたほどでした。にもかかわらず、実際にその時が来て、イエス様がそこにおられるのに、イエス様の中に神からの救い主の姿を見ることができず、反発し、殺そうとさえしている現実がありました。
「偽善者」とは、教えていることと理解していることが違う、言っていることとやっていることが違う指導者たちのことを指しています。私は自分の中に、常に偽善的な面が存在しているように感じています。
教えと行為の中に誠実さを身につけたいと思います。
祝福がありますように。

++


【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:12 また、わたしは顧みて/知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。王の後を継いだ人が/既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。
2:13 わたしの見たところでは/光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。
2:14 賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。しかしわたしは知っている/両者に同じことが起こるのだということを。
2:15 わたしはこうつぶやいた。「愚者に起こることは、わたしにも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ。」これまた空しい、とわたしは思った。
2:16 賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。
2:17 わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。
2:18 太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。
2:19 その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下でわたしが知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい。
+++++
知恵は愚かさよりも優れていることを認めながらも、結局賢い人も、愚かな人も同じように死んでいき、忘れられていくことの虚しさをコヘレトは語っています。
自分の努力も残したすべてのものも、結局、自分の死後、そこに残された後継者に引き継がれるわけですが、彼が賢者なのか、愚者なのか、それさえ確定的なものではない、これもまた空しいと告白しています。人は、絶望的な見方をし始めると、何から何までそういうふうに見えてきてしまうものです。「死」の壁は厚く、すべての人が忘却の対象になっている現実は、確かに、暗澹たる思いの波の中に引き込まれてしまう感じさえします。しかし、こういう現実をしっかり見定めることができるこの人は確かに優れた知性の持ち主であることはわかります。
しかし、この人は「どうせ死ぬのだ、勝手に生きよう」という自暴自棄的な生き方を推奨しているわけではありません。いったいどう生きれば良いのかを問うているのです。
答えは簡単ではなさそうです。
祝福がありますように。


   関根一夫

http:// 

 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月29日(日)21時49分3秒
返信・引用
  罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。


      ローマ 6:23

http:// 

 

【アブラハム】

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月29日(日)21時39分31秒
返信・引用
  旧約聖書人物列伝

「アブラハム」


創世記

12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて
/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名
を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは
呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブ
ラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
++++
ヘブライ人への手紙
11:8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことにな
る土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知ら
ずに出発したのです。
++++++++++++
1)アブラムを取り巻く人たち
創世記11:26 テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが
生まれた。
11:27 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハ
ランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。
11:28 ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。
ここにアブラムの父テラのことが出てきます。
テラは70歳でアブラム・ナホル・ハランの三人の子供の父親になります。
いったい一年間で三人の子供の父になるとはどういうことなのでしょう
か。アブラムは妻サライと結婚し、ふたりで一緒に父との旅に同行しま
す。しかし、テラの妻については言及がありません。推測ですが、テラ
は家庭のことでいろいろ問題を持っていたのではないかと言う人がいま
す。
父親ハランを失ったロトにとってアブラムは信頼できるやさしい心のお
じさんだったに違いありません。
妻のサライは子供を生むことができない人だったので、当時の社会では
本当に冷たい視線や仕打ちを受けていた可能性があります。
つまり、ここに登場するアブラハムを取り巻く人たちは、どこかに寂し
さを抱え、どこかで社会に落ち着けないような気持を持っていた人たち
でした。
最初これらの人たちはカルデアのウルという土地に住んでいました。ウ
ルという土地は現在のイラクの南部の都市で、月を礼拝する宗教が盛ん
な所でした。アブラムは父とロト、そして妻のサライと一緒にウルから
ハランに旅立ち、そこで父親が死ぬまでの間留まりました。つまり父親
に対してアブラムは責任を果たしたことになります。また、甥のロトに
対しても、妻サライに対してもきちんと責任を果たし、精一杯彼らの祝
福のために生きようとしている人であることがわかります。
彼らが住んだハランとは、シリア地方、現トルコ領の中にある町です。

2)行くところを知らずして

使徒言行録7章のステファノの説教の記事によれば、ウルにいた頃、すで
にアブラムに対して神がそこから出ていくようにと声をかけていること
がわかります。つまり、この旅は父親が積極的に決めたことというより、
むしろ、アブラムが父親を巻き込み、妻と甥のロトを連れてハランまで
移動したのかもしれません。
ハランまでの旅では「アブラハムの優しさ」が顕著です。父が死ぬまで
ハランに留まったということを考えると、父に寄り添うために、自分の
最終目的地への旅を保留した可能性があります。ロトを連れていったこ
ともまた、とても素晴らしい優しさだと思います。ハランでの父の死を
受けて、神様の約束を再確認し、いよいよ彼自身の旅が始まります。
創世記12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
ここでは、人への配慮とか、逃げ出すとか、そういう思惑の全くない旅
が書かれています。つまり、アブラムはこのハランである程度成功者と
して名をなしていましたから、別に生活のために他所の土地へ移動する
必要はありませんでした。ウルからハランまでは、もしかすると、父親
の問題などがあって、移動が人間的な理由でも必要だったのかもしれま
せん。
アブラムは主の言葉に従って、出発を決意し、そして、神の約束を信じ
て、自力での決断としてハランから約束な地に向けて出かけました。こ
のあと、ロトとも別れることになりますので、ますますアブラムの自立
的な、自分の決断による旅が明確になっていきます。

3)約束を信じているが、天幕での生活

使徒言行録
神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住ん
でいる土地にお移しになりましたが、
7:5 そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さ
えも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、
『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』
と約束なさったのです。
ヘブライ人への手紙
11:9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、
同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕
屋に住みました。

アブラハムは優しい人ですが、失敗もありました。自分の妻のことを「妹
だ」と言って騙したり、息子の誕生が待ちきれず、ハガルによってイシ
ュマイルを生んだり、弱点はありました。妻も信仰深いわけではありま
せんでした。また、資産として大邸宅を建てるわけでもなく、テント生
活を続けました。ウルの時代、ハランの時代には、家も財産もありまし
た。今はずっとテントで移動生活です。しかし、神の祝福の約束を信じ、
約束の提供者である神を信じ、常に希望を抱き、前向きに進んで行きま
した。人に対しての誠実に生きました。
パウロはこうまとめました。
ローマ4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあると
おりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させ
る神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。
4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、
「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民
の父となりました。
4:19 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えてお
り、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱ま
りはしませんでした。
4:20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰
によって強められ、神を賛美しました。
4:21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信してい
たのです。

思い通りにいかない人生、約束があるので前向きにはなれるけれど、実
現まで待たされることの多い人生、アブラムはそういう中で神の祝福の
約束を心に信じて生活したのです。
彼の信仰は弱らず、約束を疑わず、神を賛美しながら前に進みました。
これから何が起こるか知らされていない、わからないのが人生です。で
も、最終的には神に知られていることで安心なのです。神が計画を持っ
ておられると信じて日々を過ごせることが幸いなのです。

4)アブラムの信仰、自立的な旅への歩み

私たちも、神に語られ、自分で前途を決めなければならないことがあり
ます。その際に人に相談しても反対されるような気持になり、悶々とし
て、結局、決断できず、前にも後ろにも行けないような気持になり、信
仰生活が面倒に感じてしまうことがあります。逆に、なりふり構わず無
鉄砲に決断し前に向かうことが最善だと考えている人もいるかもしれま
せん。
優柔不断も無鉄砲もアブラハムの決断の仕方とは違います。
彼はいわば神の約束に圧倒され、信じました。
アブラムと一行の移動は、現代人の考える旅行よりもはるかに時間がか
かっており、自分の財産を使いながら、そこに滞在し、関係を持ち、進
んで行ったので、誠実さ、勤勉さ、勇気、そして信頼される生き方を積
み上げていく必要がありました。
アブラムは焦ることなく、淡々と日常を行き、先に進んだだけなのです。
何も見せびらかすものなどありません。神が真実なお方だということだ
けが彼の確信でした。神はアブラムをアブラハムと改名しました。「高
貴な父」、から、「多くの国民の父」という名前になりました。サライ
は「私の王女」からサラ「諸国民の母」となりました。17章参照。
その祝福はイサクに引き継がれ、子々孫々にわたって引き継がれていま
した。そして、私達にも届いたのです。
25:7 アブラハムの生涯は百七十五年であった。
25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖
の列に加えられた。
アブラハムは「神を信じた」人であり、信じたように生きた人、信じた
通り従った人でした。75歳から175歳まで。「満ち足りて」という言葉が
最後の言葉として印象的です。


祝福がありますように。


     関根一夫








http:// 

 

スウィーツバイブル  みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月29日(日)14時30分52秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、前回に引き続きローマの信徒への手紙10章1-2節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。


――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

今日から10章に入ります。
前回、9章の復習をしましたが、この9、10、11章はイスラエルの救いがテーマとなっている章です。
そして9章において、パウロはイスラエルの民が救われることを熱望していることを書き、イスラエルがどれだけ祝福されているのか、神様から与えられた特権はイスラエルの民だけに与えられていることを書き、それなのに神様からの最大のプレゼント、つまりイスラエルの救いのために来られたメシア、救い主であられるイエス様を拒否してしまったのだということを書きました。

ではそのイスラエルは神様から見捨てられたのでしょうか?決して、断じてそうではありません。神様は今も尚イスラエルの民を愛しておられ、多くの民が神様の御心に反し救いの御手を拒否した中にあっても少数派ですが、着実に救われる者を起こしています。
アブラハムから始まったイスラエルの歴史において、途切れることなく真の信仰者は起こされています。そしてそれは今の時代、2012年4月現在においても継続して真の信仰者がおります。
今日においてはメシアニックジューと言われているイエス様の十字架と復活を信じ受け入れているユダヤ人です。メシアニックジューとはメシア、つまり救い主イエス様を信じているユダヤ人です。だからユダヤ的に言うと、私たち日本人はメシアニックジャパニーズとなります。

イスラエルの民の中にこの真の信仰者はいつの時代にもいたのですが、どの時代においても大勢ではありません。いつも少数です。今日においてもそうです。このことを専門用語で「残された者」とか「レムナント」と言います。このレムナント、残された者がいたからイスラエルは今日に至るまで守られていたのです。彼らの祈りの火は何千年と絶やされることがなかったからです。

さて、そのことを踏まえながら、今日からの10章を学んでいくこととします。

1節をご覧下さい。
「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。」

パウロは10章の冒頭で「兄弟たち」と語っています。
この「兄弟たち」、誰に向かって言っているのでしょう?それはローマの教会の信徒たちにです。
当時ローマにはユダヤ人と異邦人、両者がおりました。その彼らにパウロの心の中心を分かち合おうとしているのです。

「兄弟たち」、この言葉は愛のこもった、そしてどうしても聞いて欲しいというニュアンスがあります。
私たちも友人や特別な関係の人にこういう言い方をしないでしょうか?
「○○さん、大丈夫、安心していいんだよ!」
こうやってセンテンスの冒頭で名前を言うときは、どうしても伝えたいとき、愛を込めた励またいときではないでしょうか?
ここでの「兄弟たち」も同じなのです。

パウロはここで「兄弟たち、私の思いをどうしても知って欲しいのだ」と涙ながらに語っているのです。
ここからもこの9,10,11章が重要な箇所だと言えます。パウロの涙ながらの力説が伝わって来ます。これから言うことは重要なことで、どうしても知って欲しいことなのだと。私たちもそのパウロの心を持ってこの章をご一緒に味わいましょう。


ではパウロがそれだけ熱心に訴えていることとは何でしょう?
「わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。」

パウロは彼ら、つまりイスラエルの民が救われることを心から願い、祈っているのです。
パウロもまたレムナントの一人なのです。神様がご自身の権威でパウロを選び、救われるように選ばれた器なのです。

パウロの願い、それは同胞であるイスラエルの民の救いです。
9章2-3節でパウロは「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」と語っています。
これ程の情熱、イスラエルのためなら神様から見捨てられた者となってもよいとまで思うほどの同胞への愛を持って彼らが救われるようにと願っているのです。

そしてこの10章の冒頭で「兄弟たち」と語っています。イスラエルの民だけなら「我が同胞よ」とか「イスラエルよ」と言いますよね。しかしここではユダヤ人も異邦人も教会のメンバー全員にどうしても聞いて欲しいと涙ながらに訴えているのです。つまり、これから語られることは軽々しい内容ではなく、ユダヤ人も異邦人も、この手紙を読む全ての人にとって重要な内容だということです。

さて、パウロはイスラエルの民が救われることを心から願っていると言っていますね。
しかし前章で神様はご自身の権限によって救われる者を選ばれているのだということ、そして造られた私たちにはそれに対して文句をいう資格がないということを学びました。
だからパウロが力説しなくても、もう神様が救われる人を選んでおられるからそれでいいのではないかと思われる方がおられるかもしれません。そして何か矛盾も感じる方もおられるかもしれません。

しかしこれは重要なことなのですが、神様は確かに救われるべき人を選ばれています。そして神様の主権によって今日に至るまで導かれ、御計画のままに進行しています。これは事実です。
しかしそれと同時に救われない者を選んでいるとは聖書には一言も書かれていません。つまり誰が救われるかどうかは私たちにはわからないし、知ることも出来ないのです。

私たちクリスチャンは神様によって救われるべく選ばれた者です。だから一度救われたら絶対にその救いが奪われることはありません。

それと同時に誰が救われるか救われないか、それは私たちにはわからないのです。神様の御心によることだからです。だから私たちは神様の恵みによって救われたことを感謝し、同時に救われていない者たちのために祈り伝道するのです。このバランスが非常に重要です。

パウロは同胞であるイスラエルの民が救われることを心から願い、祈っていると言っています。私たちもまたイスラエルの救いを願い求める必要があります。
それと同時に私たちの愛する同胞、つまり日本人の救いのために祈り求める必要もあるのです。
今日、多くの人が希望を持てないと言っています。
その希望の源、それは私たちの主イエス・キリストです。イエス・キリスト以外に救いはないのです。
このイエス様の十字架の愛を、恵みを多くの人に知ってもらいたい、受け入れ救われて欲しいと心から願っています。日本の希望、それはイエス・キリスト以外に無いのです。

共に私たちの同胞である日本人の救いのため、祈り求めていきましょう!

祝福を祈ります、キリストの愛を込めて。。。


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礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月29日(日)14時17分20秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
2012.04.29
旧約聖書人物列伝
「アブラハム」
創世記
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて
/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名
を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは
呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブ
ラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
++++
ヘブライ人への手紙
11:8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことにな
る土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知ら
ずに出発したのです。
++++++++++++
1)アブラムを取り巻く人たち
創世記11:26 テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが
生まれた。
11:27 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハ
ランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。
11:28 ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。
ここにアブラムの父テラのことが出てきます。
テラは70歳でアブラム・ナホル・ハランの三人の子供の父親になります。
いったい一年間で三人の子供の父になるとはどういうことなのでしょう
か。アブラムは妻サライと結婚し、ふたりで一緒に父との旅に同行しま
す。しかし、テラの妻については言及がありません。推測ですが、テラ
は家庭のことでいろいろ問題を持っていたのではないかと言う人がいま
す。
父親ハランを失ったロトにとってアブラムは信頼できるやさしい心のお
じさんだったに違いありません。
妻のサライは子供を生むことができない人だったので、当時の社会では
本当に冷たい視線や仕打ちを受けていた可能性があります。
つまり、ここに登場するアブラハムを取り巻く人たちは、どこかに寂し
さを抱え、どこかで社会に落ち着けないような気持を持っていた人たち
でした。
最初これらの人たちはカルデアのウルという土地に住んでいました。ウ
ルという土地は現在のイラクの南部の都市で、月を礼拝する宗教が盛ん
な所でした。アブラムは父とロト、そして妻のサライと一緒にウルから
ハランに旅立ち、そこで父親が死ぬまでの間留まりました。つまり父親
に対してアブラムは責任を果たしたことになります。また、甥のロトに
対しても、妻サライに対してもきちんと責任を果たし、精一杯彼らの祝
福のために生きようとしている人であることがわかります。
彼らが住んだハランとは、シリア地方、現トルコ領の中にある町です。

2)行くところを知らずして

使徒言行録7章のステファノの説教の記事によれば、ウルにいた頃、すで
にアブラムに対して神がそこから出ていくようにと声をかけていること
がわかります。つまり、この旅は父親が積極的に決めたことというより、
むしろ、アブラムが父親を巻き込み、妻と甥のロトを連れてハランまで
移動したのかもしれません。
ハランまでの旅では「アブラハムの優しさ」が顕著です。父が死ぬまで
ハランに留まったということを考えると、父に寄り添うために、自分の
最終目的地への旅を保留した可能性があります。ロトを連れていったこ
ともまた、とても素晴らしい優しさだと思います。ハランでの父の死を
受けて、神様の約束を再確認し、いよいよ彼自身の旅が始まります。
創世記12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
ここでは、人への配慮とか、逃げ出すとか、そういう思惑の全くない旅
が書かれています。つまり、アブラムはこのハランである程度成功者と
して名をなしていましたから、別に生活のために他所の土地へ移動する
必要はありませんでした。ウルからハランまでは、もしかすると、父親
の問題などがあって、移動が人間的な理由でも必要だったのかもしれま
せん。
アブラムは主の言葉に従って、出発を決意し、そして、神の約束を信じ
て、自力での決断としてハランから約束な地に向けて出かけました。こ
のあと、ロトとも別れることになりますので、ますますアブラムの自立
的な、自分の決断による旅が明確になっていきます。

3)約束を信じているが、天幕での生活

使徒言行録
神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住ん
でいる土地にお移しになりましたが、
7:5 そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さ
えも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、
『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』
と約束なさったのです。
ヘブライ人への手紙
11:9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、
同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕
屋に住みました。

アブラハムは優しい人ですが、失敗もありました。自分の妻のことを「妹
だ」と言って騙したり、息子の誕生が待ちきれず、ハガルによってイシ
ュマイルを生んだり、弱点はありました。妻も信仰深いわけではありま
せんでした。また、資産として大邸宅を建てるわけでもなく、テント生
活を続けました。ウルの時代、ハランの時代には、家も財産もありまし
た。今はずっとテントで移動生活です。しかし、神の祝福の約束を信じ、
約束の提供者である神を信じ、常に希望を抱き、前向きに進んで行きま
した。人に対しての誠実に生きました。
パウロはこうまとめました。
ローマ4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあると
おりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させ
る神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。
4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、
「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民
の父となりました。
4:19 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えてお
り、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱ま
りはしませんでした。
4:20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰
によって強められ、神を賛美しました。
4:21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信してい
たのです。

思い通りにいかない人生、約束があるので前向きにはなれるけれど、実
現まで待たされることの多い人生、アブラムはそういう中で神の祝福の
約束を心に信じて生活したのです。
彼の信仰は弱らず、約束を疑わず、神を賛美しながら前に進みました。
これから何が起こるか知らされていない、わからないのが人生です。で
も、最終的には神に知られていることで安心なのです。神が計画を持っ
ておられると信じて日々を過ごせることが幸いなのです。

4)アブラムの信仰、自立的な旅への歩み

私たちも、神に語られ、自分で前途を決めなければならないことがあり
ます。その際に人に相談しても反対されるような気持になり、悶々とし
て、結局、決断できず、前にも後ろにも行けないような気持になり、信
仰生活が面倒に感じてしまうことがあります。逆に、なりふり構わず無
鉄砲に決断し前に向かうことが最善だと考えている人もいるかもしれま
せん。
優柔不断も無鉄砲もアブラハムの決断の仕方とは違います。
彼はいわば神の約束に圧倒され、信じました。
アブラムと一行の移動は、現代人の考える旅行よりもはるかに時間がか
かっており、自分の財産を使いながら、そこに滞在し、関係を持ち、進
んで行ったので、誠実さ、勤勉さ、勇気、そして信頼される生き方を積
み上げていく必要がありました。
アブラムは焦ることなく、淡々と日常を行き、先に進んだだけなのです。
何も見せびらかすものなどありません。神が真実なお方だということだ
けが彼の確信でした。神はアブラムをアブラハムと改名しました。「高
貴な父」、から、「多くの国民の父」という名前になりました。サライ
は「私の王女」からサラ「諸国民の母」となりました。17章参照。
その祝福はイサクに引き継がれ、子々孫々にわたって引き継がれていま
した。そして、私達にも届いたのです。
25:7 アブラハムの生涯は百七十五年であった。
25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖
の列に加えられた。
アブラハムは「神を信じた」人であり、信じたように生きた人、信じた
通り従った人でした。75歳から175歳まで。「満ち足りて」という言葉が
最後の言葉として印象的です。
祝福がありますように。



        関根一夫

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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月28日(土)20時54分46秒
返信・引用
  ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。


             ローマ 5:1

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月28日(土)13時47分11秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.28
ルカによる福音書
◆分裂をもたらす
12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃
えていたらと、どんなに願っていることか。
12:50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、
わたしはどんなに苦しむことだろう。
12:51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
12:52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と
対立して分かれるからである。
12:53 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、
嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」
+++++
ここで語られている「洗礼」とはご自分の使命でもある「十字架と復活」の
出来事です。神様がもたらそうとしている「救い」は救い主イエスの苦難と
犠牲によるものでした。
そして、イエス様は地上に平和ではなく分裂をもたらすために来たと語って
います。その救いを受け取る際にはきっぱりとした態度が求められ、対立が
生まれる可能性を示唆しています。
実は、イエス様も家庭内の理解を得られない時期がありました。マルコ3章
31節~などを見るとそれがわかります。
でも、この箇所で一番伝えたいのは、神様が家庭内に必ず深刻な対立をもた
らすという教えではなく、むしろ、一時的に家庭内で混乱や分裂があるにせ
よ、確実に神の救いがもたらされるということであり、そのためにこそ信仰
の火を点じる聖霊が与えられるのだという希望的な教えです。
誰かが信仰の決心をしたとき、家庭内で全員が喜ぶことがあるとすれば、家
中の人がすでに信仰を持っている場合か、あなたがよほどそれまで家庭内で
心配や迷惑をかけてきたかのどちらかだろうと思います。多くの場合、あな
たの信仰決心をいぶかる声があがり、警告や注意、意見対立が起こります。
しかし、一時的には対立もあるかもしれませんが、その火を消さないように
守るべきでしょう。いつか、きっと気づいてもらえる日が、和解の日がくる
と信じながら。
祝福がありますように。

++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:3 わたしの心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生
きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、
酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた。
2:4 大規模にことを起こし/多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。
2:5 庭園や果樹園を数々造らせ/さまざまの果樹を植えさせた。
2:6 池を幾つも掘らせ、木の茂る林に水を引かせた。
2:7 買い入れた男女の奴隷に加えて/わたしの家で生まれる奴隷もあり/か
つてエルサレムに住んだ者のだれよりも多く/牛や羊と共に財産として所有
した。
2:8 金銀を蓄え/国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れた。男女の歌い手をそ
ろえ/人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。
2:9 かつてエルサレムに住んだ者のだれにもまさって/わたしは大いなるも
のとなり、栄えたが/なお、知恵はわたしのもとにとどまっていた。
2:10 目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ/どのような快楽をも
余さず試みた。どのような労苦をもわたしの心は楽しんだ。それが、労苦か
らわたしが得た分であった。
2:11 しかし、わたしは顧みた/この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。
見よ、どれも空しく/風を追うようなことであった。太陽の下に、益となる
ものは何もない。
+++
知恵と笑いに続いて、著者は「酒による刺激、愚行」そして、贅沢の限りを
尽くして大邸宅を建て、果樹園や池を作り、奴隷、金銀、宝を手に入れ、遊
びに明け暮れ、側女も大勢はべらせて暮らしました。繁栄しているように誰
からも見えたはずです。しかし、その心は満たされていなかったというので
す。
それらのどれも、空しいと語っています。
それにしても、不思議ですね。快楽に熱中し、贅沢に遊んで暮らせること自
体が悩みになり、虚しさを感じるとは。心の中に潜む虚無感は、いわゆる物
欲や性欲、あるいは貪欲に押し出されての労苦によっても満たされることは
ないようです。
テレビなどで紹介される億万長者の、いわばセレブな生き方って本当に、幸
せなのでしょうか。人間って守るべきものが多くなりすぎたり、虚栄心ばか
りが大きくなってくると、苦労も倍増することになるかもしれませんね。
コヘレトは、自分の体験として、それら物欲からの労苦や外面的な繁栄は、
最終的な心の満足をもたらさなかった、幸せになれなかったと告白していま
す。人生の難しさがここにありそうです。
祝福がありますように。



  関根一夫







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今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月27日(金)14時19分29秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年4月27日(金)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、
隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。
このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、
平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、
十字架によって神と和解させるためなのです。
敵意は十字架によって葬り去られました。
それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、
近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、
父のみもとに近づくことができるのです。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、
今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、
キリスト・イエスご自身がその礎石です。
この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、
主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、
あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
             エペソ2:14-22【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月27日(金)14時06分51秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.27
ルカによる福音書
◆目を覚ましている僕
12:35 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
12:36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待って
いる人のようにしていなさい。
12:37 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸い
だ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着
かせ、そばに来て給仕してくれる。
12:38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを
見られる僕たちは幸いだ。
12:39 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来る
かを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
12:40 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るから
である。」
12:41 そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話してお
られるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
12:42 主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食
べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
12:43 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は
幸いである。

12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりに
しなかった僕は、ひどく鞭打
たれる。
12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても
少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、
更に多く要求される。」
****
主が再び来られるときに、目覚めていられるしもべになるようにとイエス様
は勧めています。その場に主人がいてもいなくてもしもべたちの面倒をきち
んと見て、主人が戻ってくる日を期待するような生き方が推奨されているの
です。「12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思い
どおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても
少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、
更に多く要求される。」とありますが、聖書の要求する信仰のあり方は「神
様の心を考えながら行動を決定する」というものです。神様が何を喜び、神
様が何を期待しておられるのかを考えながら行動を決定していくという生き
方は、いわば、自分のことだけ考えて生きるというのとはまったく異なる思
考パターンが要求されます。神様の心を教えられ、その心に沿って生きると
いう生き方こそ、聖書の求める生き方なのです。
祝福がありますように。


++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:1 わたしはこうつぶやいた。「快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。」
見よ、それすらも空しかった。
2:2 笑いに対しては、狂気だと言い/快楽に対しては、何になろうと言った。
**
「快楽とそれでもたらされる笑い」こそ人生を豊かにするものだと著者は考
え、その中に身を置きますが、結果は「空しい」ということになりました。
笑いは狂気であり、快楽は無意味だと彼は感じています。
おそらく、彼が求めた快楽や笑いは、一般人が求めているものとは比較にな
らない、一流の、高価な、いわば「ハーレム」のようなものだったかもしれ
ません。
しかし、そこでの楽しみが心を満たすことはありませんでした。快楽は一瞬
であり、そのあとは空しさが襲ったのです。快楽的な刺激は、一過性のもの
であり、さらにより強い刺激を求めていくことになります。現代社会におけ
る「ドラッグ」の流行は、まさにそういう光景を表現しているような気がし
ます。私が大学生の頃流行した「イージーライダー」という映画の中に描か
れた快楽への渇望と狂気、虚無感と悲劇的な結末は、まさにここにある言葉
を映像化したような感じさえします。
人生を豊かにする生き方への探求の旅は続きます。
祝福がありますように。


     関根一夫

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月26日(木)22時09分11秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.26
ルカによる福音書
12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与え
られる。
12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を
作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫
も食い荒らさない。
12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
***
「神の国」とは「神による支配」あるいは「神の愛と清さ、希望と力の充満」
とでも言ったら良いでしょうか。
「小さな群れ」とここにあるのは、教会のことであり、キリストを信頼して
いる複数人の集団のことです。そういう小さな集団に、惜しみなく神はその
愛と希望と力を充満させてくださいます。
貧しくても、困った人がいたら助ける心を持ち、そういう愛の助力によって
天に宝を積み上げることになるのだとイエス様は教えました。人は、「富」
や「宝」に心を支配されているので、それが天にあるか銀行にあるかによっ
て行動が変わってきます。
神の国の富が添えられていることを信じて、人へのやさしい助力の心、共感
の心、そして行動が生まれると良いですね。そのためにも、神の国を求める
必要があるのです。神の支配の中に生きるとは、天における神様との完全に
満たされた生活を意識しながら生きるという面があります。
祝福がありますように。


++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
1:12 わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。
1:13 天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調
べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。
1:14 わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな
空しく、風を追うようなことであった。
1:15 ゆがみは直らず/欠けていれば、数えられない。
1:16 わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者
のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わ
たしの心は知恵と知識を深く見極めたが、
1:17 熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かである
にすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。
1:18 知恵が深まれば悩みも深まり/知識が増せば痛みも増す。
+++
イスラエルの王としてエルサレムにいたというコヘレトは、世の中のすべて
のことを知ろうと努力し、まず、知恵を深めようとしたようです。そして知
恵で有名になり、知者としての地位を築きました。
しかし、彼の結論は、知恵を求めても空しく、風を追うようなものであり、
知恵が深めれば悩みが増し、知識が増せば痛みも増すだけだとのこと。問題
解決の方法を知っていても、問題が片付くわけではなく、人の心のゆがみま
では直せないし、意欲がなければ教えることもできないのです。しかも勉強
は楽しいばかりでなく、結構辛い作業だと告白しています。
この文章は、学生には読ませたくない文章ですね。しかもこれは理論ではな
く、著者の体験的な告白なので、結構重い言葉ですね。
私は修士課程を修了したとき、ますます知らないことだらけの自分を痛感さ
せられましたが、怠惰だった自分に責任がありましたので、知恵が深まれば
悩みも深まるという経験とはつながっていませんでした。
いつか、そこまで到達できたらいいなと思うことがあります。
いずれにしても、著者は教育による知識の獲得に幻滅を感じ、空しさを感じ
ています。
学生の皆さんは、5月の連休を前に履修要綱を投げ出してしまわないように気
をつけてくださいね。
こう言えるほど勉強してからにしてください。
祝福がありますように。


   関根一夫







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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月25日(水)22時09分25秒
返信・引用
  神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


            ヨハネ 3:16

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月25日(水)13時26分13秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.25

ルカの福音書(新改訳による)

12:22 それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに
言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのこと
で何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
12:23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつ
だからです。
12:24 烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋
も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あ
なたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。
12:25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいの
ちを少しでも延ばすことができますか。
12:26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配する
のですか。
12:27 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせ
ず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄
華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはい
ませんでした。
12:28 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、
神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんな
によくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。
12:29 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることを
やめ、気をもむことをやめなさい。
12:30 これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。
しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知
っておられます。
12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、
これらの物は、それに加えて与えられます。
+++
心配しなくてよいということは、決して無頓着で良いということではな
いと思います。心配するというのは、心を悩ませ、思いわずらい、悲観
的に自分で何とかしなければと無理をさせる要素を含んでいます。問題
だけを目の前に近づけて見、自分の能力だけを考え、神様の約束に心を
向けず、他者の善意にも心を開かないなどの態度が心配を生みだす要素
なのかもしれません。
神が養ってくださることを信頼し、その助けを当てにしつつ、自分の最
善を願い、丁寧に取り扱えば良いのです。
神に知られ、神の温かいケアの心がいつでもあなたに向けられているこ
とを信じて、日々を過ごすことができたらどんなに気持ちが楽になるこ
とでしょう。
神の国を求めて生きるとは、神の支配が自分にも届くことを信じて生き
ることです。
今日一日がそういう一日になりますように。
祝福を心から祈ります。

+++

【空のなかの真実:伝道者の書】(新改訳による)

1:5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、そ
の巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所
に、また流れる。
1:8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽き
ることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも
起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それ
は、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。
+++
日、風、そして川は、常に変わっているようでいながら、同じことの繰
り返しのように思える。変化があるようでも、そこに存在するという面
では何も変わっていないので、循環しているだけのことでいわばゴール
が無いように感じるのです。人間の苦労も同じことの繰り返しではない
かというわけです。

方丈記を書いた鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水
にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくと
どまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
」と記し「無常」という仏教の言葉と重ね合わせて、「常に同じものは
この世には無い」と強調しました。とはいえ、世の中に常なるものはな
いけれども、河の流れ自体は途絶えないことを理解し、常に変化してい
るものと、変わらないものとがあることを認めています。
こういう思想はとても大事な生命観でもあります。私たちの体やいのち
も同じようにとらえることができるからです。

事象は変わります。でも、同じことは前にも起こったことがあることな
のです。人間の経験も同じかもしれません。
静かな秩序の循環の中に私たちは置かれているように感じます。そんな
中で私たちは、意欲や希望をどう育てていけばよいのでしょう。いろい
ろ課題が見えてくる序の言葉です。
祝福がありますように。


   関根一夫







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今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月24日(火)19時39分51秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年4月23日(月)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。
夜も、私は黙っていられません。けれども、
あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
私たちの先祖は、あなたに信頼しました。
彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。
彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。
彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。
しかし、私は虫けらです。
人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。
私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
「【主】に身を任せよ。彼が助け出したらよい。
彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」
しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。
生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。
母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。」
         詩編22:1-10【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月24日(火)19時26分28秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.24
ルカによる福音書
◆「愚かな金持ち」のたとえ
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように
兄弟に言ってください。」
12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官
や調停人に任命したのか。」
12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさ
い。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも
できないからである。」
12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だっ
た。
12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡
らしたが、
12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、
そこに穀物や財産をみなしまい、
12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだ
けの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前
が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおり
だ。」
****
貪欲に関する警告を含んだ例え話です。
日本語では十分に伝わってきませんが、原文ではこの農夫の発言は「どうし
よう、わたしの作物をしまっておく場所がない」「こうしよう。私の倉を壊
し・・・私の穀物や私の財産を…」そして「私の魂に言ってやるのだ」とい
う風に「わたし」がいたるところに強調されているのです。イエス様が語っ
ているように、本当にこの人は自分のことしか考えていないのです。もちろ
ん、自分のことを考えることは大事なことで、自分のことを無視することは
よくない事です。自分自身に無頓着すぎるのは悪いことだと思います。
しかし、それにも限度があって、自分の心を神様とのかかわりの中に置いて
物事を考えることが人間として大事なことなのです。やがて、死がやってき
たとき、物自体は残っても、その人の存在と神との関係が皆無であれば、そ
の空しさは永遠的なものになってしまうわけです。
今、品物に恵まれていれば、すべて良いという考え方は、永遠を視野に入れ、
神との関係を視野に入れた人生を教えている聖書の世界からすると、実に刹
那的であり、一瞬のうちに流されてしまう可能性のある人生ということにな
ります。品物があること自体はすばらしいことだと思います。それに対して
神に感謝し、周囲と分かち合う心があるといいですね。独り占めは、独りよ
がりなどは、あまり歓迎されないわけですね。ちょっとイエス様の論点とズ
レましたね。失礼。
祝福がありますように。



++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
1:1 エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
1:2 コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空し
い。
1:3 太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。
1:4 一代過ぎればまた一代が起こり/永遠に耐えるのは大地。
****
口語訳聖書や新改訳聖書では「伝道者の書」という題名になっていますが、
新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」となっています。このコヘレトという
言葉は旧約聖書の中で、この文章にしか使われていないものです。集会を召
集するもの、集会で語る者という意味があるようです。
だからこそ、伝道者と別の聖書は訳したのでしょう。知恵文学と呼ばれてい
るジャンルに入る文章で、空しさ、楽しさが入り混じり最終章で結論が書か
れています。全体的には悲観的であり、空しさが中心に語られている重苦し
さを含んだ人生訓的文章です。
これから、コヘレトの語る言葉を少しずつ読んでいきます。
最初から、「空しい」と語り、永遠性を感じられるのは大地だけだと語って
います。
これからの暗さが暗示されているような文章で始まっています。果たして元
気になれる教説があるのかどうか不安になりますが、現実と向き合うために
は、こういう文章をしっかり心にとどめておくことも必要だと思います。
最後までお付き合いくださいね。
祝福がありますように、


   関根一夫






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同じ 関根牧師様だ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月23日(月)11時59分55秒
返信・引用
  昨日
22日の主日礼拝に 沖縄バプテスト教会に行きましたら
小田原のほうで 牧会されてあるという
関根弘興牧師様が
特別に
本日は メッセージをされるということでした
この牧師様は
キリスト教関連のテレビ番組 ライフラインの司会も
されておられるとのことで
私を ただの司会する おじさんと
テレビを 見ている方たちは 思われているそうですが
私も 30年以上 牧会している牧師なんですよ
開拓伝道からはじめた 今の教会の牧師でもありますよ
3年くらい 信徒が 誰もいなくて
家族でもある牧師様が来られて
おまえはいいなーーーーーっ
信徒が減る心配が無いからな なんて ことも 言われたそうです。
このような ユーモラスな自己紹介も ありました。
しかも
この牧師様の一族は
ほんとに 日本各地で 牧師様をされているとのことでした
そのときに
私は もしや ここで メッセージを 掲載させてもらっている
関根一夫牧師様も身内なのかなと 勘違いしていました
同じ 関根という姓なので 単純にそう思ったのです。。。。。
そして この日の
メッセージの内容は
詩篇121篇からで「守られて生きる」と いうタイトルでした。
関根弘興先生によると
守られるとは 見ているとのことであると
力あるメッセージをされ
大きな声と 迫力のあるジェスチャーと
とても ジェントルな なんとも 洗練されたメッセージでした
私達は
*守られる* と いうと
神様が なにか 悪いことや 不運な事を
一切 取り除いてくださるのだと
勝手に そう 思いがちに なりますが
そうではなくて
どんな時にも 見てくださっているということらしいです
その中には
その人にとって 当座 悪いことのように思えることも
それすら 後になれば
この失敗 この失態 挫折 苦しみ 困難 があったゆえに
今の成功が 今の最善がある と いうことに なるとのことで
なるほどと思いました。
子供が 一番安心するのは
*お父さんが 見ているから 大丈夫だよ*という 言葉らしいです。
そのことゆえに
子供は のびのびと 安心して 何でもにトライするらしいですよ。
そうか
天のお父様とは そのようなそんざいかもなって 私に言いかけました。
メッセージに 感謝でありました。
それから
メッセージにおいては
語る側もですが
それを受け取る側の姿勢も 大切とのことでした
ただ
聞いて終わるだけか
それを
では やってみようと 行動に移すか 問われますよね。
それから
この日は 私の好きな 賛美が 連続してありましたので
歌いつつ歩まん♪ 聖なる聖なる♪
ほんとに 恵まれた 礼拝でした。

ハレルヤ 主に 感謝です。

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月23日(月)10時34分30秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.24
ルカによる福音書
◆イエスの仲間であると言い表す
12:8 「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い
表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い
表す。
12:9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で
知らないと言われる。
12:10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦
されない。
12:11 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い
訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
12:12 言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
+++
クリスチャンであることを表明することがそのまま迫害につながるという時
代がずいぶん長く続きました。そういう時代にはクリスチャンであることを
表ざたにすることは苦難を意味していましたから、恐れを感じで黙ってしま
う人や知らないと言ってしまう人もいたのだと思います。12弟子の一人、ペ
トロでさえ、そういう出来事を通過したことがありました。人への恐れで、
つい否定してしまうことはあるのです。信じているのに、それが言えないと
いう苦しみを神様はわかっておられます。ただ原則的には、キリストを信じ
ているのかと尋ねられたら、はい、私はその仲間ですと答えるように求めら
れています。イエス様に愚痴を言っても文句を言っても良いのです。赦され
ます。
そして、迫害を受け裁判になったとき、語るべきことは聖霊が教えて下さる
から心配しないようにイエス様は教えました。
聖霊を冒涜するとは、聖霊の働きかけをわかっていながら、故意に拒否し、
軽蔑的な態度であざ笑う態度を取り続けることです。神は「救いなど絶対に
いりません。私に聖霊の働きなど効き目はないし、無用です」と言い続ける
人に「それでは、そのようになりなさい」と神が宣言なさる日があるという
ことです。だからこそ、そういう人が「神を知り」、「神の希望と力を知り」、
「神の愛」を知ることができるように祈る必要があるのです。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
◆有能な妻(つづき)
31:23 夫は名を知られた人で/その地の長老らと城門で座に着いている。
31:24 彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。
31:25 力と気品をまとい、未来にほほえみかける。
31:26 口を開いて知恵の言葉を語り/慈しみの教えをその舌にのせる。
31:27 一族の様子によく目を配り/怠惰のパンを食べることはない。
31:28 息子らは立って彼女を幸いな人と呼び/夫は彼女をたたえて言う。
31:29 「有能な女は多いが/あなたはなお、そのすべてにまさる」と。
31:30 あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられ
る。
31:31 彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。
***
働き者の理想的な妻が、同時に、気品に満ち、知恵の言葉、慈しみの教えを
語り、主を畏れる人でもあることが表現されています。
こういう女性は、理想の人として描かれているのだと思いますが、こういう
資質は女性ばかりでなく男性にも求められる要素だと思います。
それにしても箴言の最後の章にこういう描写が置かれているのは、なぜなの
でしょう。こういう人を妻として迎えなさいという忠告なのか、こういう人
は真珠よりも貴重だと言われていますから、まさに理想上の人物として描か
れ、こういう人がいたらいいなぁということなのか、どうなのでしょう。
ご夫婦でお互いに、ここに描かれている人とは程遠いけれど、「よろしくお
願いします」と分かち合えれば、幸せなのかもしれません。(箴言了)


関根一夫








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スウィーツ バイブル   みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月22日(日)23時53分8秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、前回に引き続きローマの信徒への手紙10章1-2節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。


――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

今日から10章に入りました。その前に9章の復習をここでしましょう。
前章の9章から、パウロは自分の同胞であるイスラエルについて論じています。
本来なら8章の最後の感動的な結論から、次に12章に進んでもよいのですが、パウロは3章も割いてイスラエルの問題について書いています。
どうでもよかったらこんなに割かないですよね。ある人たちはこのイスラエルのことについて書かれている9,10,11章は次の12章の挿入句であり、今日の私たちにはそれ程重要ではないと位置づけています。本当にそうですか?もしそうならこんなにも長い文章が必要なのでしょうか?
つまり、この9,10,11章はとても重要な箇所で、パウロがどうしても外すことの出来ない、ローマの教会の人たちに伝えたいことだったのです。それは今日においても同じで重要な3章です。

さて、前章の9章ですが、3つのことを学びました。
1、【イスラエルには特権が与えられている】:
イスラエルの民には特権が与えられています。パウロはその特権を7つ取り上げました。

「彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。」(9:4-5前半)

これらは全てイスラエルの民にだけ与えられた特権です。異邦人である人たち、つまり私たち日本人には全く関係の無いことであり、この特権からは外されていました。もちろん韓国人であれ、アメリカ人であれ、ユダヤ人以外の人たち全員です。

イスラエルの民はこんなに素晴らしい特権が与えられているにもかかわらず、彼らのためのメシア、つまり救い主であるイエス様を拒否したのです。その結果があの十字架です。イエス様はもともとイスラエルのメシアとしてこの地に来られたのです。

2、【イスラエル人の一部しか救われていないのは、それは神の計画なのである】:
イスラエルは民族的にはイエス様を拒否しました。しかし少数派ですが、旧約聖書の時代から今日に至るまで真の神様を信じ従う者が起こされていました。

パウロはこのことを6節からの箇所で解説しています。
パウロはそこで、「アブラハムの子孫だからと言っても全員救われるのではない」と言っています。神様はアブラハムと子孫を通して救い主を起こすこと、そして彼らの子孫が祝福されることを約束され、契約を結ばれました。この契約は今日に至るまで継続中です。

アブラハムから2人の子どもが生まれました。1人はエジプト人の召使いハガルとの間に生まれたイシュマエル、もう1人はアブラハムの正妻サラとの間に生まれたイサクです。
約束の子孫は最初に産まれた腹違いの長男イシュマエルではなく、弟のイサクです。
また、イサクの子どももエサウとヤコブがいましたが、これも長男ではなく弟が神様の契約の子孫の流れとなりました。

こうやって神様の主権により、救われる者が選ばれたのです。
今日に至るまで、こうやって神様が救われる民を選ばれています。旧約聖書の時代もどんなに民が堕落しても、その中で神様だけを信じ従った者がいました。新約の時代もそうです。そして今日に至るまでそれが続いています。イスラエルの民は今日に至るまで多くの迫害を受けてきましたが、神様を信じる人が必ずどの時代にもいました。
今日のその人たちはメシアニックジューと言って、メシア、つまり真の救い主であるイエス様を信じ受け入れたユダヤ人という意味なのですが、このメシアニックジューの人たちがそうです。
何故ユダヤ人クリスチャンと言わないのかというと、それは私たち異邦人がこの「クリスチャン」という言葉で彼らを散々迫害してきたからです。イエス様を信じてもユダヤ人であり、神様の特権も変わらず彼らのものなのです。

3、【何故イスラエル人の一部しか救われないのか】:
それは神様が選ぶ権威を持っておられ、ご自身の権威によって誰を救うかを選ばれているのです。私たちはそれに対して文句を言う資格はありません。
例えば焼き物師は同じ粘土から一つを尊いことに用いる器に、もう一つを尊くない、ある意味どうでもいいことに用いる器に造る権限がありますよね。
ところが尊くないことに用いる器がしゃべれたとして、「先生、どうして私をこんな器に造ったんですか?こんなの不公平です!!」ってクレームをつけること、できますか?
出来ないですよね。それは焼き物師の権限で、彼の思いのままに造るのであって、造られた器には文句を言う資格は全く無いです。

それと同じです。
神様はご自身の権限によって、主権によって救われるべき人を選ばれたのです。
しかもその選びはイスラエルの民だけではなく、異邦人である私たちにも及んでいるのです。

イスラエルの民はどうしてつまずいてしまったのでしょう?
それは彼らが福音を理解しなかったからです。そして行いによって救われるかのように思ったからです。彼らは努力して一生懸命頑張って神様がモーセを通して与えられた律法を守ろうとしました。
それだけではなく、その上「口伝律法」といって、ラビ(祭司)たちが律法をより具体的に守るために付け加えた律法があるのですが、それをも懸命に守ろうと努力したのです。
彼らはその努力によって義とされ、栄光を受けることが出来ると信じたからです。

しかし福音は違います、「信仰義認」、つまりイエス様が十字架に架かられ死んだこと、その後墓に葬られたこと、そして3日目に肉体を伴って生前の姿形で復活されたこと、それを信じ受け入れるだけで、その瞬間に神様から義と認められるのです。

これが9章の内容です。
次回から10章を学びますが、私たちが忘れてはいけないのは、この「信仰義認」ということです。
救われる時はそうですね、イエス様を信じ受け入れるだけで良いと言われ、信じました。
ところが問題は信じた後です。クリスチャンの歩みは努力が伴うとか、信仰という名で新たな口伝律法を作り出され、それに従うことが祝福への道のような教えで頑張って奉仕し、伝道し、献金し、礼拝出席、祈祷会出席したり。。。。
それらは全部イスラエルの民が失敗したのと同じ事です。伝道しないと主は喜ばれない、嘘です。奉仕しないと祝福されない、これも嘘です。主が喜ばれること、それは頑張ることでも努力することでもありません。主に依り頼み、主の中で安らぐこと、主に人生の全てをお任せすることです。

「信じたわたしたちたちは、この安息にあずかることができるのです。」(ヘブル4:3)
「なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。」(ヘブル4:10)

祝福を祈ります、キリストの愛を込めて。。。。


★☆★☆★☆★☆

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礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月22日(日)20時31分46秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
2012.04.22

エフェソの信徒への手紙から 02
【パウロの祈り】
1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖
なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、
あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような
希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄
光に輝いているか悟らせてくださるように。
1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほ
ど大きなものであるか、悟らせてくださるように。

エフェソの信徒への手紙の中にはパウロの祈りが2箇所書かれています。教会
のための祈りですが、個人のためのものとしても学びたいと思います。

1)存在への感謝

1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖
なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
祈るとき、パウロはエフェソの人たちの存在を神に感謝し、神の恵みを知る
彼らのことを喜んでいます。
パウロの祈りは、愛に基づくものでした。単に義務感ではなく、彼らのこと
を喜び、感謝しながら、主の祝福を願い求めています。

2)神を深く知ることができますように

祈りの項目の最初にあげられているのは、彼らが神を深く知ることができる
ように、そのための知恵と啓示の霊が与えられるようにというものです。
パウロは確信しているのです。彼らがどういう状況にあるにせよ神を深く知
ることによって解決や平安がもたらされるということを。人間による助けは
大きいものですが、最終的には、彼らの心の目が開かれ、神を深く知ること
によって、より大きな平安を得ることができるのです。
神を知るとは、みことばを通して神を深く理解することであり、また体験的
に神ご自身の偉大さとその恵みを深く悟ることでもあります。ただ知識とし
て神について知るということだけではありません。
神について知るということは大事なことですが、神を知るという、いわば直
接的な、霊的な体験として知ることが重要です。そして、パウロは個人個人
の生活の中で「神を知る」ことができますようにと祈るのです。
みことばで神の愛を深く実感すること、礼拝で神を経験すること、心が温か
くなるような出来事はとても貴重な体験です。

3)神の与える希望

次にパウロは、「そして、神の招きによってどのような希望が与えられてい
るか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟
らせてくださるように。」と祈っています。
神に知られているということがどれほど大きな希望に通じているか、理解で
きるようにとパウロは祈っているのです。これから先、神の計画の中で私は
どう生きられるのだろう。神は私を通してどんなことをなさろうとしている
のだろうと人生を希望的に考える心が与えられると、前向きに生きることが
始まります。私が人生から何を得ることができるのかという考えでなく、神
が私の人生をとおして何をなさろうとしているのだろうと考える生き方こそ、
希望的な生き方になります。

4)神の力

1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほ
ど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
パウロは、続けて、神の力の絶大さを悟ることができるようにと祈っていま
す。そして、イエス様をよみがえらせた父なる神の力について語っています。
死を打ち破るほどの力、死者をよみがえらせるほどの力ある神を深く知るこ
とが出来るようにとパウロは祈っているのです。「神が共にいてくださる」
とよく言いますが、「死を打ち滅ぼすほどの力ある神が、共にいてくださる」
のですから、大いに安心できるのです。

パウロは3章の中にも祈りの言葉を書いています。
3:14 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。
3:15 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。
3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあ
なたがたの内なる人を強めて、
3:17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを
愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
3:18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、
長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
3:19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、
神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるよう
に。
3:20 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったり
することすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、
3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあ
りますように、アーメン。

5)内なる人を強め、キリストを住まわせて

パウロはここで、彼らが心にキリストが内住していることを悟り、キリスト
の心を動機付けにして生きられるようにと祈っています。
キリストが心のうちに住んでいるというのは、私たちの心の中心にキリスト
の心が重なっていることを意味しています。ですから、キリストの心で生き
られますようにということになります。
イエスキリストを救い主として信じているなら、イエス様は私たちの心に住
んでくださいます。
そして、私たちの心を守り、聖霊によって私たちの心に愛を満たしてくださ
います。

6)人知を超えた神の愛を知ることができますように

パウロは終わりに、彼らが人知を超えた神の深い愛を知ることが出来ますよ
うにと祈っています。
神の祝福は、神の愛を深く心の中に受け止め、また、イエス様によって示さ
れた犠牲的な愛を自分に対するものとして体験することによってもたらされ
ます。

実はパウロはこの手紙を牢獄の中で書いています。つまり、彼は手伝いたく
てもそこに行くことができず、物を提供したくても品物もなく、彼が牢獄の
中で勤しんでいるのは、手紙による教えと祈りでした。祈ることで人を励ま
し、祈ることで人を守るという生き方を、私たちも学ぶ必要があります。

私たちは、人々の祝福を祈ります。それぞれの方法で、心に浮かぶ人のため
に神に助けや守りや祝福を祈ります。時に祈りのリクエストを書いて貰って
祈ることもあります。しかし、その人が紙にそれを書いているとき、神様は
それを知っていてくださいます。
パウロは、彼らと神との交わりの深まりを祈っています。彼らが神を知り、
神の希望、神の力、神の愛を体験できるようにと祈っています。神様と確実
な出会いを体験できるようにと祈っています。教会の力が試されるとすれば、
この部分です。
私たちは、即物的な、あるいはご利益的な「癒し」「助け」「支援」を祈り
ます。それはとても大事なものであり、具体的に必要なものですから、祈る
ことは正しいことです。もちろん、具体的な助けができるなら、それは祈ら
ずに、さっさと実行すべきなのかもしれません。
しかし、何もできないとしても、相手の人生に対する究極的な祝福や支援を
考え、その人たちが神様との親密な交わりを深めることを願い祈ることは重
要です。
神様との出会い、神様による希望、安心がもたらされるように祈り、支える
ことこそ、そこに人間の根源的な安心感があると信じて祈りましょう。
祝福を祈りあいましょう。


      関根一夫







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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月21日(土)22時08分23秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.21
ルカによる福音書
◆恐るべき者
12:4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以
上何もできない者どもを恐れてはならない。
12:5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む
権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。
12:6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さ
え、神がお忘れになるようなことはない。
12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
****
人を恐れて臆病になることは誰にでもあることですが、案外、神を恐れるこ
とは少ないようです。
しかし、神こそ私たちへの永遠の判定を下すことが出来るお方なので、その
お方の前に生かされていることを厳粛なこととして理解する必要があるとイ
エス様は教えました。
神は、永遠の裁きをもたらすお方として恐るべきお方だけでなく、私たちを
知っていて守ってくださるお方でもあります。私たちの髪の毛の本数さえも
知っておられ、わたしたちひとりひとりを価値ある存在として見ていてくだ
さるお方なのです。
厳しさと優しさを持っておられる神を恐れ、敬うことは、礼拝の心に通じて
います。
「神に知られている」という安心感をもって生きられることは幸いなことで
す。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
◆有能な妻
31:10 有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。
31:11 夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。
31:12 彼女は生涯の日々/夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
31:13 羊毛と亜麻を求め/手ずから望みどおりのものに仕立てる。
31:14 商人の船のように/遠くからパンを運んで来る。
31:15 夜の明ける前に起き出して/一族には食べ物を供し/召し使いの女た
ちには指図を与える。
31:16 熟慮して畑を買い/手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。
31:17 力強く腰に帯し、腕を強くする。
31:18 商売が好調かどうか味わい/灯は夜も消えることがない。
31:19 手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
31:20 貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
31:21 雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。
31:22 敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。
****
ここに書かれている「有能な妻」は、まさに当時の理想の女性像だったかも
しれません。この人の家庭には信頼感と奉仕の精神があふれています。衣食
住のすべてにおいて、彼女はよく働き、貧しい人にも助けの手を伸ばしてい
ます。
女性の社会的位置づけは低かった時代ですから、こういう文章があること自
体とても珍しいのですが、箴言には母親からの教訓がたくさんありますので、
自分の母親の生き方を書き写したものかもしれません。
ここには、重要な労働力としての女性の姿が書かれています。ちょっと男ま
さりと感じるほど力強い姿が描かれています。そういえば、イサクの妻リベ
カも実によく働く女性でしたね。
しかし、有能な妻も、有能な夫も、「どこにでもいる」わけではないですね。
真珠よりはるかに貴い存在だとすれば、それはきわめて稀なことですものね。
こういう妻がいたらいいなという理想を書いた詩のような感じがします。
「あなたは、わたしにとって大切な存在です。いてくれてありがとう」と分
かち合える存在であれば、これほど有能でなくても支えあえるのだと思いま
す。
祝福がありますように。







http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月20日(金)10時16分1秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.20
ルカによる福音書
◆偽善に気をつけさせる
12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み
合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサ
イ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。
12:2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られ
ずに済むものはない。
12:3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の
間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
****
「パン種」が取り上げられているのは、「ふくらませる」ことから、「誇張
による偽り」の象徴として用いられているからです。偽善的な生き方とは自
分のことを誇張し、より大きく、立派そうに見せようとする心から始まって
います。そういう生き方の仮面はいつかはがされる日がきます。偽善的にで
はなく、誠実に表裏のない生き方をするようにとイエス様は弟子たちに勧め
ています。
どこかでより大きく、立派そうに見せたい気持ちは誰にでもあると思います。
しかし、結局化けの皮がはがれ、恥をかく日がくるのですから、正直に自分
を認め、身の程を知って、自分を生きることが大切なのです。自然体という
のは、そういう生き方なのでしょうね。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
◆レムエルの言葉
31:1 マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉。
31:2 ああ、わが子よ/ああ、わが腹の子よ/ああ、わが誓いの子よ。
31:3 あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに/あなたの
歩みを向けるな。
31:4 レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるも
のにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない。
31:5 飲めば義務を忘れ/貧しい者の訴えを曲げるであろう。
31:6 強い酒は没落した者に/酒は苦い思いを抱く者に与えよ。
31:7 飲めば貧乏を忘れ/労苦を思い出すこともない。
31:8 あなたの口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている
人の訴えを。
31:9 あなたの口を開いて正しく裁け/貧しく乏しい人の訴えを。
++
王が母から受けた教訓が記されています。
女性との交際に入れ込み過ぎないように、強い酒を飲み過ぎないようにとい
う注意が切々と訴えられている様子が書かれています。
むしろ、王として義務を果たすように、すなわち、弱者への弁護、福祉への
情熱を燃やして民をケアするようにと勧められているのです。
申命記17章には王への警告が書かれていますが、
17:16 王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送
り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはな
らない」と主は言われた。
17:17 王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に
蓄えてはならない。
17:18 彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこ
の律法の写しを作り、
17:19 それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れ
ることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばなら
ない。

とあり、軍備の増強や、大勢の妻、蓄財が戒められています。そして、しっ
かり主の教えを学ぶようにと勧められています。でも、それをしっかり守っ
た王が何人いたのだろうと思います。
それぞれの立場における義務をしっかり果たそうとすれば、当然、さまざま
な自己抑制が必要になります。
神様の力と助けを得て、それぞれの役割をしっかり果たしたいですね。
祝福がありますように。



    関根一夫







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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月19日(木)11時04分16秒
返信・引用
  そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。


          第一コリント 15:17

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月19日(木)10時54分38秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.19
ルカによる福音書
11:49 だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを
遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』
11:50 こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、
今の時代の者たちが責任を問われることになる。
11:51 それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血に
まで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。
11:52 あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入ら
ないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
11:53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激
しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
11:54 何か言葉じりをとらえようとねらっていた。
****
自分のことを非難されて喜ぶ人はいないと思いますが、律法学者やファリサ
イ派の人たちも同様で、イエスを目の敵にし、何とか仕返しをしようとさま
ざまな質問や罠を仕掛けるようになり、修復不可能なほどの溝が出来てしま
いました。
イエス様が言われた「神の知識があると吹聴しているけれど、実際は、知識
の鍵を取り上げており、自分もその世界に入ることはできず、人々がそこに
入るのを妨げてい」るという状況を、自覚するのは難しいだろうなと思いま
す。彼らは自分たちの生き方に自信を持っていたでしょうし、知識の鍵を人
々から取り上げてしまっているとは思っていなかっただろうと思います。知
識の鍵とは、聖書の意味を解き明かす知識、神の救いの計画を教えることの
できる知識を開示できる力のことです。
しかし、人を脅し、人を迷わせ、勝手に恵みによる救いを「努力による救い
や奉仕、献金などによる救い」にすり替えて教えている人がいるとすれば、
それらの教師や指導者は、ここで糾弾されている律法学者と何一つ変わりま
せん。そういう人たちの心の奥底には、深刻な神様嫌いの心があり、自己保
身の心があるのです。気づかぬうちに神様より偉くなってしまっているから
です。
指導者のために、牧師のために、どうぞお祈りください。
祝福がありますように。


++

【癒すことば:箴言】
30:29 足取りの堂々としているものが三つ/堂々と歩くものが四つある。
30:30 獣の中の雄、決して退かない獅子
30:31 腰に帯した男、そして雄山羊/だれにも手向かいさせない王。
30:32 増長して恥知らずになり/悪だくみをしているなら、手で口を覆え。
30:33 乳脂を絞るとバターが出てくる。鼻を絞ると血が出てくる。怒りを絞
ると争いが出てくる。
****
言葉遊びのように感じる箇所です。教訓的な内容はあまり多くないように感
じます。
でも、「増長して恥知らずになり/悪だくみをしているなら、手で口を覆え」
という表現は面白いですね。
恥知らずな面は、その軽率で場をわきまえない発言によって明確になってき
ます。手で口を覆ってでも、失言をしないように気持ちを引き締めることっ
て、時々必要だなと思います。
言葉についての用心深さは、昔から、恥を隠し、知恵を示すための重要な教
訓として教えられていたようです。箴言は、最初から最後までそういう知恵
の重要さや思慮深く生きることの大切さを教えています。
今日一日、言葉での失敗が最小限に食い止められますように。
祝福を心からお祈りします。







http:// 

 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月18日(水)22時16分57秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年4月18日(水)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 安息日をきよい心で守り、わたしの喜ぶことを進んで行ない、
おきてをきちんと守る宦官に、こう約束する。
わたしの家とわたしの城壁のうちで、子だくさんの者が受ける
称賛など比べものにならない、良い名前を与える。 わたしが与える
名前はいつまでも価値のあるもので、決してすたれることはない。
また、神の国民の仲間入りをしてわたしに仕え、わたしの名を愛し、
わたしのしもべとなって安息日をきよく守り、
わたしの契約を受け入れた外国人には、次のように約束する。
エルサレムにあるわたしの聖なる山へ連れて行き、
わたしの祈りの家でこおどりして喜ばせる。
わたしは彼らのいけにえや供え物を受け入れる。 わたしの神殿は
『すべての民族の祈りの家』と呼ばれるようになるからだ。
追放されたイスラエル国民を呼び戻す神様は、
神様の国民イスラエル以外の者たちも集めると告げます。」
         イザヤ56:4-8【リビングバイブル】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月18日(水)11時42分55秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.18
ルカによる福音書
11:42 それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香
やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかに
しているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ
物もおろそかにしてはならないが。
11:43 あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、
広場では挨拶されることを好むからだ。
11:44 あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上
を歩く人は気づかない。」
11:45 そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、
わたしたちをも侮辱することになります」と言った。
11:46 イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負
いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとし
ないからだ。
11:47 あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建ててい
るからだ。
***
こういう文章を読むとファリサイ派の人たちの存在がすべて悪者のように感
じますが、実際には彼らの果たした社会的役割の中にはとても優れたものが
ありました。彼らは町で一般の人たちに聖書を教えたいわば宗教教育のプロ
だったからです。しかし、また、だからこそ問題もありました。それは彼ら
は自分たちの教えた内容にふさわしく歩む姿勢が求められていたのに、それ
についてはイエス様の指摘どおり、表面的、外面的な宗教生活に終始してい
た面があるからです。そればかりか、人に重荷を担わせるだけの教えになっ
てしまっていたのです。まるで神は重荷を負わせる神のようなメッセージが
彼らの主張でした。
イエス様は、彼らの理解不足、内面的な力不足を指摘しているのです。もし、
彼らがそれに気づいて、悔い改める気持ちがあれば、彼らは本当にすばらし
い教師としての役目を果たせたのだろうと思います。残念ながら彼らはイエ
ス様の指摘に腹を立て、悔い改めるどころか、権力にものを言わせてイエス
様を殺すことを計画するのです。彼らの内側の問題、神の真理への反抗心の
深刻さが浮き彫りにされてしまうことになります。
わが身に置き換えて、しっかり学ばねばと思います。私の内側にもファリサ
イ派の人と同じ種類の問題が存在しているように感じます。
祝福を心から祈ります。


++

【癒すことば:箴言】
30:24 この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。
30:25 蟻の一族は力はないが/夏の間にパンを備える。
30:26 岩狸の一族は強大ではないが/その住みかを岩壁に構えている。
30:27 いなごには王はないが/隊を組んで一斉に出動する。
30:28 やもりは手で捕まえられるが/王の宮殿に住んでいる。
*****
こういう例えは面白いですね。知恵者として蟻、岩タヌキ、いなご、やもり
が挙げられています。
観察してみれば、確かに、言い当てているなぁと思います。なんだかイソッ
プ物語に出てくる話しのようにも思いますね。こういう風に説明したり、こ
ういうわかりやすいたとえを話せる人こそ、知恵者なのでしょうね。実にう
らやましい限りです。
最近、身近に起こったことで気づかされた真理ってありますか?
祝福がありますように。


   関根一夫






http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月17日(火)20時39分46秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.17
ルカによる福音書
◆ファリサイ派の人々と律法の専門家とを非難する
11:37 イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事
の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。
11:38 ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったの
を見て、不審に思った。
11:39 主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の
外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。
11:40 愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではない
か。
11:41 ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべ
てのものが清くなる。
****
外見や形式的なことをことさらに重んじ、その内容やあり方、生き方そのも
のを吟味することを怠っているファリサイ派の人に向かってイエス様は厳し
い非難の言葉を語ります。
本来は、彼らが一般民衆に教えるべき内容であり、生き方であるべきものだ
ったからです。
彼らについて、「杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意
に満ちている」とイエス様は語りました。
内側を整え、自分の器の中から、それを必要としている人たちに施しをする
ような心こそ、神に喜ばれる清い生き方であり、神に喜ばれる清い心なのだ
とイエス様は教えたのです。
このあとも、厳しい言葉が続きます。まるで自分に向けられているような迫
力ある言葉ですので、じっくり読んでいきましょう。
祝福がありますように。

+++

【癒すことば:箴言】
30:18 わたしにとって、驚くべきことが三つ/知りえぬことが四つ。
30:19 天にある鷲の道/岩の上の蛇の道/大海の中の船の道/男がおとめに
向かう道。
30:20 そうだ、姦通の女の道も。食べて口をぬぐい/何も悪いことはしてい
ないと言う。
***
これまた、なぞに満ちた驚きをもたらし、知りえぬ事柄が書かれています。
そうだよなぁとうなってしまうような内容です。
しかし、こう考えると、この世界ににも、私たちの人生にもわからないこと
ってたくさんありますね。どうなっているのだろうと興味を示したところで、
なかなかその内容はわかりません。まさに、神秘的でもあります。でも、こ
こでも不思議なは、男性は純情な感じで書かれていますが、女性はかなり大
胆な悪女のような書かれ方をしています。
人生には不可解なことがあります。
今日も、祝福がとどきますように。







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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月16日(月)22時37分3秒
返信・引用
  イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。


          ヨハネ 11:25

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月16日(月)19時40分45秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.16
ルカによる福音書
◆体のともし火は目
11:33 「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はい
ない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
11:34 あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの
全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。
11:35 だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。
11:36 あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、
ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」
****
そこにいるイエス様の中に神の恵みを心の目で見ることができたら、そ
れによって全身がともしびのような役目を果すことになりますが、もし、
イエス様がそこにいるのに、奇跡ができるのかということばかりを求め
てしまい、その御方の言葉や存在の中に表明されている神の霊的真理を
見ようとしないなら、暗闇の中にいるのと重じ事になるというのです。
自分はイエス様をどう見ているだろうか、その御方を救い主として、ま
た神の御子として受け止めているだろうか。イエス様とは、あなたにと
って誰なのか、イエス様とは何なのか、実はこの質問はとても重要なも
のなのです。「あなたこそ、神の御子、救い主です」と告白できますよ
うに。
祝福を祈ります。

**

【癒す言葉:箴言】

30:15 蛭の娘はふたり。その名は「与えよ」と「与えよ。」飽くことを
知らぬものは三つ。十分だと言わぬものは四つ。
30:16 陰府、不妊の胎、水に飽いたことのない土地/決して十分だと言
わない火。
30:17 父を嘲笑い、母への従順を侮る者の目は/谷の烏がえぐり出し、
鷲の雛がついばむ。
***
ヒルの娘とはよく言ったものだと思いますが、人間や家畜の皮膚に吸い
付いて血を吸うのがヒルです。自分の身体の何杯にもなるほど血を吸う、
その貪欲さを表現しているのでしょう。あの人はヒルのような人だと言
われたら、確かに、もっとよこせ、もっとよこせとしつこく要求してく
る人を連想できますね。
そのあと、満足することのないものが列挙されていますが、こういう書
き方は当時のいわばトンチ問答やユーモアあふれる言葉遊びのような感
覚で書かれているのかも知れません。「不妊の胎」がそういう軽口の素
材になっていることは現代では決して受け入れられないように思います。
子供を生むことができても、できなくても、存在価値が変わるわけでは
ありません。しかし、それらの人たちの心の中で感じる寂しさ、悲しさ、
疎外感、また、歴史の中で受けてきた屈辱感の大きさは、計り知れませ
ん。神様からの慰めがあるようにとお祈りします。
祝福がありますように。


  関根一夫






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スウィーツバイブル  みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月15日(日)16時14分29秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、前回に引き続きローマの信徒への手紙9章30-33節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

9:30 では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。
9:31 しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。
9:32 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。
9:33 「見よ、わたしはシオンに、/つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」と書いてあるとおりです。


――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

前回、義を得るために一生懸命に律法を守り実践していたイスラエル人が義を得られず、律法を得ることもなく、しかも神様からかけ離れた歩みをしてきた異邦人が義を得たという話をしました。
もちろん異邦人、つまり私たち日本人も含めてイスラエル人以外の人全員が義とされるのではありません。私たちの国日本にしても99.5%以上の人は未だ不義の中、つまり罪の泥沼の中に生き、サタンの支配の中に生きています。
それは3つのこと、つまり、私たちの罪のためにイエス様が十字架に架かられ死なれたこと、その後墓に葬られたこと、そして3日目に肉体を持ってよみがえられた、つまり生前のイエス様の状態で復活されたこと、これを自分のこととして信じ、そこに信頼を置いた人だけです。
このように恵みと信仰によって異邦人であれ、イスラエル人であれ、イエス様の為された業を信じ受け入れた者が、その信仰によって義とされたのです。
前回はそのことをご一緒に学びました。

今日はこのことについて引き続き学ぶこととします。

32-33節をご覧下さい。
9:32 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。
9:33 「見よ、わたしはシオンに、/つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」と書いてあるとおりです。

32節でイスラエル人が行いによって達せられるかのように考えたから義を得られなかったとパウロは説明していますが、その後、この節の最後に「彼らはつまずきの石につまずいたのです」とあります。

さて、「つまずきの石」とは何でしょう?
33節で「見よ、わたしはシオンにつまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は失望することがない」という旧約聖書のみことばが引用されています。

この旧約聖書の箇所はイザヤ書8章14節からの引用です。こうあります。
「主は聖所にとっては、つまずきの石/イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩/エルサレムの住民にとっては/仕掛け網となり、罠となられる。」

ここでも「つまずきの石、妨げの岩」とありますね。
聖所にとってはつまずきの石、イスラエルの両王国、つまりダビデの息子ソロモン死後イスラエル王国は南北に分裂してしまいますが、その両王国にとって妨げの岩となるとここで言っているのです。

つまずきの石、さまたげの岩、これはイエス様のことです。
行いを重視し、律法を一生懸命に守ろうとするイスラエル人にとってはイエス様の十字架の死と復活の救いはまさにつまずきの石、さまたげの岩なのです。

自分で頑張って義を得ようとする、これはイスラエル人だけではなく、異邦人である私たちクリスチャンもしがちなことです。イエス様が私たちのためにあれだけの犠牲を払ってくださった、私たちはその恵みに応えなければと頑張るのです。また、何か困難が起こると何とかしてそこから脱しようと頑張るのです。でも、そうやって頑張る中にイエス様はおられません。もちろんイエス様を意識はしていることでしょう。でもイエス様ではなく自分の何かで達成しようとしている中で実はイエス様を排除しているのです。

多くの人がなんとかイエス様に従おうと、今も頑張って信仰を全うしようとしています。その結果疲れてしまい、それでも頑張ってイエス様に従おうとしています。
でもそうやって頑張ること、それは私たちがイエス様を信じる前の生き方なのです。
パウロは言います、つまずきの石、妨げの岩につまずいたのだと。

33節の後半をご覧下さい、「これを信じる者は、失望することがない。」
イエス様は石であり、岩であります。この生ける石、命の石であるイエス様を信じる者は失望することがないのです。

イザヤ書28章16節をご覧下さい。
「それゆえ、主なる神はこう言われる。『わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石/堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。』」

石はイエス様です。イエス様は試みを経た石、堅く据えられた礎の尊い隅の石だと言っています。
この「隅の石」とは当時のイスラエルの建築用語です。
家を建てる時、まず土台を据えますよね。その前にまず大きな石をその土地に置くのです。そしてその石から直角に基礎が伸びていくのです。そしてその上に土台が据えられ、家が建つのです。
ですから、イエス様が隅の石だというのは、イエス様が家の中心であり、イエス様を中心に家が建てれているということなのです。

パウロは別の箇所でこのことについて語っています。
「使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、」(エペソ2:20)
ここでは教会のことを言っていますが、ここで言う教会とは私たちクリスチャン一人一人のことです。そして私たちクリスチャンである教会の土台は使徒と預言者です。今日預言者も使徒も既に据えられています。そしてそのかなめ石、つまり上に書いた隅の石のことなのですが、これがイエス様ご自身なのです。

今日、かなめ石も使徒も預言者も据えられています。
問題は私たちクリスチャンがそのかなめ石に、土台に身を任せるかどうかです。
教会である私たちはこのかなめ石の上に据えられた土台の上に建てられるとき、初めてクリスチャンとしての歩みを楽しむ事が出来るのです。
もちろんイエス様を信じたら人生ハッピーではありません。昨年の東日本大震災で苦しまれている方々の中にもクリスチャンは多くおられます。また試練の中にいるクリスチャン、荒野の生活をされているクリスチャンは大勢います。
でもその荒野の中でもイエス様の上に建てられているなら、その荒野の中で平安でいられるのです。
どうしてでしょう?イエス様をかなめ石として、そこに信頼し、身を任せているからです。

イエス様に信頼し、かなめ石であるイエス様の上に築き上げられるクリスチャンライフ、一緒にしませんか?
その時、その状況がどうであれ、その苦しみのど真ん中で主の恵みが溢れるのです。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。


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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月15日(日)15時59分0秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
2012.04.15
エフェソの信徒への手紙
1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられ
ますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的
な祝福で満たしてくださいました。
1:4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、
汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
1:5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もっ
てお定めになったのです。
1:6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わ
たしたちがたたえるためです。
1:7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦さ
れました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
****
今日と来週の2回にわたって使徒パウロによるエフェソの信徒への手紙の
中から学んでいきます。
この手紙はパウロによる手紙ですが、内容は「神はイエス・キリストを
通して新しい共同体をお創りになり、ユダヤ人も異邦人も関係なく、キ
リストによってひとつとされ、神の祝福を得ることができる」というこ
とが中心的なテーマです。

今朝は1章と2章を中心に学んでみたいと思います。

1) 天のあらゆる霊的祝福で満たしてくださる神(1:3)
パウロは手紙の冒頭に「神はわたしたちをキリストにおいて、天のあら
ゆる霊的祝福で満たしてくださった」と書いています。神の私たちに対
する祝福の多くは、この地上的なものではなく「天にある霊的祝福」と
呼ばれるものです。それは一体どういうものかという説明が1章、2章に
書かれています。
◆神に愛され、選ばれ、聖なるものとされるように計画されている
◆神の子どもにしようとされた
◆恵みによって罪の赦しがもたらされ、神の約束と祝福の相続者とされ
ている
などなどです。
つまり、神様との関係において、どうしても必要な要素、また、その関
係の中で受け取ることのできる様々な特権や祝福が、イエス様によって
私たちにもたらされたのだとパウロは力説しています。
しかし、これらの祝福は「霊的祝福」と呼ばれているので、神様との関
係に無頓着ですと、あまり嬉しいと感じることはないでしょうし、重要
なものという意識も育たないかも知れません。

神は全力を傾注して、私たち地上的な、有限な、死によってこの世を去
る必要がある私たちのために、永続的、永遠的な、しかし、霊的な祝福
を用意して下さったのです。
それを今、私たちはこの地上にいる間に受け取り、経験することが出来
るのです。

よくよく考えてみれば、実に重大な祝福です。神に愛されているとか、
神に選ばれているという表現は、教会の中では当たり前の言葉になって
いますが、世界を治めておられる神、永遠的に「わたしはある」と宣言
なさる神に「愛され」「選ばれ」「特別に心を向けてもらえている」と
いうことが、本当だとすれば、言葉に出来ないほどの大きな祝福なのだ
と思います。

2)ユダヤ人だけでなく、異邦人をも含んでいる祝福
2章には、
2:11 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば
異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割
礼のない者と呼ばれていました。
2:12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属
さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知
らずに生きていました。
2:13 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・
イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つ
にし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、
双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によ
って敵意を滅ぼされました。
2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、
近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結
ばれて、御父に近づくことができるのです。

とあり、当時のユダヤ人たちにとっては、簡単には受け入れがたいコメン
トが書かれています。それはユダヤ人もそうでない人も「キリストにお
いて「ひとつの体として神と和解させ、敵意を滅ぼし、双方が一緒に神
の宮として建てあげられるのだ」というのですから。
今、私達にとっては、なんと麗しい福音だろうと感じますが、当時のユ
ダヤ人にとっては、神に選ばれたのは我々だという自負心が強いですか
ら、他の民族と一緒に「神に愛されている」と考えることは屈辱的とも
思えたかも知れません。しかし、パウロは大胆に、教会は背景が異なる
人たちがひとつのからだとして機能すべき集まりなのだと強調していま
す。土台はキリストです。
この真実は今も変わりません。どこの国の人にも福音は有効なのです。

3)罪の赦し、神の家族への加入、ひとつの群れ:恵み
2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたの
です。
2:2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順
な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴
くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの
人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださ
り、その愛によって、
2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あ
なたがたの救われたのは恵みによるのです――
2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせて
くださいました。
2:7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しに
なった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そう
とされたのです。
2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。こ
のことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないため
なのです。

私たちが神の前に罪が赦され、神の子供とされ、ひとつの共同体に加え
られたのは、決して私たち個人の頑張りや努力によるのではなく、ただ
ただキリストの犠牲と、神の恵みのお陰だとパウロは教えています。
いつの間にか、私たちは救われたのは、自分が頑張ったからだなどと考
えてしまう傾向があるのですが、私たちは恵によって救われたのであっ
て、行いによるのではないということはしっかり覚えておく必要があり
ます。選ばれたのも、愛されたのも、赦されたのも、神の家族に加えら
れたのも、私の努力や行いによってではないのです。何かを実行したご
褒美で救って下さったわけではないのです。恵みの故です。

4)教会、それは礼拝者集団
1章の中には
1:6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わ
たしたちがたたえるためです。
1:12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の
栄光をたたえるためです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こう
して、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえること
になるのです。

明らかに神の霊的祝福を受け取った人は、神の栄光をたたえ、神の恵み
を讃えるべきことが示されています。神の祝福の目的は「真実な神への
礼拝者」を生み出し、育てるためでした。

2章の中には
2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に
結ばれて、御父に近づくことができるのです。
2:19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる
民に属する者、神の家族であり、
2:20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石は
キリスト・イエス御自身であり、
2:21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主にお
ける聖なる神殿となります。
2:22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって
神の住まいとなるのです。
とありますが、ここに「神の「聖なる神殿」「神の住まい」という表現
があります。神殿の最も重要な役割は何でしょう。
それは、礼拝です。私たちは、神に愛され、集められた多種多様な人た
ちと、ひとつになって、神を礼拝するということのためにキリストは来
て下さり犠牲を払って下さったのです。

神は、様々なひとたちをひとつの群れのもとに集め、礼拝者を起こそう
としている。自分とは違う背景の人たちと、兄弟姉妹として、礼拝を捧
げることを大切にする、こういう生き方をパウロは推薦しているのです。
祝福がありますように。
関根一夫





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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月14日(土)19時44分43秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.14
ルカによる福音書
◆人々はしるしを欲しがる
11:29 群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。「今
の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかに
は、しるしは与えられない。
11:30 つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子
も今の時代の者たちに対してしるしとなる。
11:31 南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の
果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。
11:32 また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上が
り、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い
改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」
****
ヨナという預言者については、旧約聖書の中にその物語が書かれています。
彼は最初、ニネベという都市に行って彼らの罪に対する神の裁きがあること
を語れという神様の命令に背いて逃げ出し、船に乗り込みますが途中で嵐に
遭い、その責任を取らされて海に放り込まれ、魚に飲み込まれ、また助けら
れて結局ニネベに行き、神に託されたメッセージを語り、ニネベの町の人が
悔い改めるという物語です。それには付録のような話が付いていて、ヨナは
ニネベの人たちが悔い改め、神が彼らを赦したことが、腹立たしく、神様に
文句を言うという場面が書かれています。ヨナがどうして怒ったのかといえ
ば、ニネベの人々というのはイスラエルに敵対していた勢力だったからです。
イエス様はこのニネベの人たちの悔い改めの出来事を高く評価しています。
そして、ご自身のことを「ヨナにまさる者」として提示しています。
ヨナは三日三晩、魚の腹の中に置かれますが、イエス様は同じ日数死と裁き
の中に置かれます。
また、イエス様は、知恵者として知られるソロモン王にもまさる存在として
ご自身を紹介しています。
それが新約聖書の主張であり、教会の主張でもあります。「イエスをどう見
るか」という課題は常に大事なポイントなのです。
祝福がありますように。

***

【癒すことば:箴言】

30:10 僕のことを主人に中傷してはならない。彼はあなたを呪い、あなたは
罪に定められる。
30:11 父を呪い、母を祝福しない世代
30:12 自分を清いものと見なし/自分の汚物を洗い落とさぬ世代
30:13 目つきは高慢で、まなざしの驕った世代
30:14 歯は剣、牙は刃物の世代/それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪
い/乏しい人を食らい尽くして命を奪う。
***
ここに表明されている出来事や、世代の観察は、今の時代にも共通している
ものがあるように思います。
忘恩、高慢、驕り、暴力、搾取、貪欲。これらの精神はいつの時代にも人々
の中に浸透しており、私たちはそういうことが悪いことだとわかっていても、
いつの間にか自分もそういう立場の中に身を置いていることに気づかされま
す。
「主よ、憐れんでください」と祈りながら、今日も丁寧に生きたいものです。
祝福がありますように。


       関根一夫






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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月13日(金)22時24分51秒
返信・引用
  神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

         第二コリント 5:21

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月13日(金)14時16分58秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.13
ルカによる福音書
◆真の幸い
11:27 イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声
高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなた
が吸った乳房は。」
11:28 しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、
それを守る人である。」
***
イエス様の母親への褒め言葉を聞いて、すぐにイエス様は「もっと幸いなの
は神の言葉を聞き、それを守る人です」と答えました。母親は、その範疇に
入っている人だったと思いますが、目だったことをするという生き方よりも、
地味にこつこつと御言葉を聞き、それに応答するような生き方こそ、神に喜
ばれる生き方なのだというのです。
キリストの教える生き方の中心は「神との対話」を大切にしながら、「神の
心に応答する」生き方です。自分の都合や自分の幸いということよりもむし
ろ、神の心を配慮しながら生きるのです。そこにこそ本当の幸いがあるのだ
と考えるわけです。ですから、幸いを追い求める人生ではなく、神が私に期
待し、願っている生き方に答えつつ生きることが私にとってはベストなので
す。
神の心の中にある私への期待の大原則は何かといえば「神を愛し、隣人を愛
し、自分を愛する」ことです。
祝福がありますように。

**

【癒すことば:箴言】
30:7 二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないで
ください。
30:8 むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくも
せず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養って
ください。
30:9 飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります。貧し
ければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません。
***
この人のふたつの求め、どう思いますか?なんとなく消極的な感じがします
が、でも、主を畏れ、知恵を求める生き方としては、とってもまともな求め
だと思います。
それにしても、「貧しくもせず、金持ちにもせず」というところが面白いで
すよね。だからこそ労働意欲も消えないのかもしれないし、だからこそ、神
への信頼も失せないのかもしれません。
あなたが神にふたつ求めることが出来るとしたら、何を求めますか?
祝福がありますように。





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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月12日(木)23時08分49秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.12
ルカによる福音書
◆汚れた霊が戻って来る
11:24 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探す
が、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。
11:25 そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。
11:26 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、
中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪く
なる。」
****
その当時の宗教世界の精神の描写と言われている箇所です。彼らはイエス様
の働きによって心の内側を掃除してもらったのに、しっかりイエス様を迎え
入れようとしないので、汚れた霊が別の7つの霊を引き連れて帰ってきて住み
着いてしまい、状況は前よりひどいものになってしまうというのです。
箴言には「4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」
という言葉があります。
神様を心のお掃除担当員のように利用するのではなく、むしろ、神様が私と
どういうかかわりを持ちたいと考えておられるのかをしっかり悟り、主であ
る救い主としてイエス様に常駐していただくことが一番です。
祝福がありますように。



【癒す言葉:箴言】
◆アグルの言葉
30:1 ヤケの子アグルの言葉。託宣。この人は言う、神よ、わたしは疲れた。
神よ、わたしは疲れ果てた。
30:2 まことに、わたしはだれよりも粗野で/人間としての分別もない。
30:3 知恵を教えられたこともなく/聖なる方を知ることもできない。
30:4 天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め/その衣に水を
包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。そ
の子の名は何というのか。あなたは知っているのか。
30:5 神の言われることはすべて清い。身を寄せればそれは盾となる。
30:6 御言葉に付け加えようとするな。責められて/偽る者と断罪されること
のないように。
****
アグルという人の言葉がこの章に、そしてレムエルという人の言葉が31章に
書かれています。今までの文章とは雰囲気が違います。
最初にアグルという人は自分の無教養、無知を告白しています。しかも、そ
れゆえ「疲れた」と振り返っています。「神よ、わたしは疲れ果てた」と言
えること自体は幸いなことです。先日、「お坊さんだって悩んでる」という
本を読みました。それは、いろいろなことを悩んでいるお坊さんの正直な質
問に別のお坊さんが丁寧に答えるという形式の本でした。大変興味深い本で
した。「牧師さんだって悩んでる」という本が出せるくらいの自由があった
らいいなぁと思いました。

このアグルの告白と同じような告白を自由にできる雰囲気はとても貴重です。
私たちは知っていると言っても、この人と同じように「粗野で分別がなく、
知恵もなく、聖なる方についてわかっていることなど本当に一握りの内容だ」
と自覚しなければならないように思います。
いつも、そこそこの「謙虚さが欲しいなと思います。
祝福がありますように。








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月11日(水)11時10分6秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.11
ルカによる福音書
◆ベルゼブル論争
11:14 イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする
悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めた
ので、群衆は驚嘆した。
11:15 しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追
い出している」と言う者や、
11:16 イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。
11:17 しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、
どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。
11:18 あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出している
と言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立っ
て行くだろうか。
11:19 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの
仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者
となる。
11:20 しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神
の国はあなたたちのところに来ているのだ。
11:21 強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物
は安全である。
11:22 しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具
をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。
11:23 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めな
い者は散らしている。」
***
人のひがみや嫉妬心というのは、猜疑心と一緒にとても考えにくいよう
な「非難の言葉」を作り出すものですね。イエス様の癒しや悪霊の追い
出しについて、ある人たちは「悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出
している」と批判する人がいたようです。また、イエス様と競い合って
何かすごいことを見せようとしている人もあったようです。
イエス様の側に立っているか、それとも敵対側に立っているかによって、
心を支配している内容がずいぶん変わってきます。
できれば、イエス様に守ってもらう側に立っていたいですね。
祝福がありますように。


***


【癒すことば:箴言】
29:22 怒りやすい人はいさかいを引き起こし/激しやすい人は多く罪を
犯す。
29:23 驕る者は低くされ/心の低い人は誉れを受けるようになる。
29:24 盗人にくみする者は自分の魂を憎む者/呪いが聞こえても黙って
いる。
29:25 人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。
29:26 支配者の御機嫌をうかがう者は多い。しかし、人を裁くのは主で
ある。
29:27 神に従う人は悪を行う者を憎む。神に逆らう者は正しく歩む人を
憎む。
++++
怒りやすい人、激しやすい人、驕るもの、盗人の味方に向かっての警告
が書かれています。
平静な心を維持するのは難しいですが、なんとか、そういう心を大事に
しながら生きたいですね。
平静な心とは、資格もないのに神に赦されており、神に愛され、神に知
られていることを感謝できる心と連動しているような気がします。
祝福がありますように。








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月10日(火)15時01分43秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.10
ルカによる福音書
11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達が
いて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友
よ、パンを三つ貸してください。
11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがな
いのです。』
11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけな
いでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ていま
す。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて
何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要
なものは何でも与えるであろう。
11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられ
る。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれ
ば、開かれる。
11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には
開かれる。
11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与え
る父親がいるだろうか。
11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供に
は良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を
与えてくださる。」
****
私たちの状況をご存知である天の父は、私たちの願いを知り、それに答
えてくださるお方だとイエス様は教えました。求めなさい、探しなさい、
門を叩きなさい、そうすれば与えられ、見つかり、開けられるとも教え
ています。また「求めなさい」とあるのは「求め続けなさい」という意
味であり、「探し続け、叩き続けなさい」と
いう意味があります。
最後にイエス様は、天の父は、私たちの地上の父よりもはるかに自分の
子供思いであり、求める者たちに聖霊さえ与えてくださるお方なのだと
教えました。
父なる神は、愛をもって全てのものを創り、すべてを人間に託し、罪を
犯し、反抗を続ける人間を愛して御子をお与えになり、それだけでなく
心を神の愛で包み込むために「聖霊」さえもお与えくださる、気前の良
い、愛の深いお方なのです。文字通り、すべてを与えてくださるお方で
す。
私たちが神に何かを与えたり、ささげたりする以前に、神は私たちに宝
物をすべて提供してくださっているのです。大きな恵みの出来事が溢れ
ているのです。
祝福がありますように。

***


【癒すことば:箴言】
29:18 幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。
29:19 僕を言葉で諭すことはできない。理解したとしても、答えないで
あろう。
29:20 軽率に話す者を見たか。彼よりは愚か者にまだ望みがある。
29:21 僕を幼いときから甘やかしていると/後には手のつけられないも
のになる。
***
新改訳聖書では「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」と訳され
ています。幻、将来的展望、希望、などは堕落を防ぐためにはとても重
要な役割を果たします。ここに登場する「僕に対する対応」は、今の私
たちにはわかりにくいものだと思います。僕(しもべ)という立場の人
を見ることは少ないカラです。
しもべとは、「人間の姿をした家畜」だと当時の人は考えていました。
だとすれば、この「しもべ」は、馬のこと、犬のことと考えたほうがわ
かりやすいかも知れません。犬などは確かに、幼い時から甘やかしてい
ると、手のつけられない状況になりますからね。人間も同じかも知れま
せんが…。

それにしても、軽率に話す者への批判は厳しいですね。
軽口をたたき、嫌味を言い、思いつきでべらべらしゃべりまくり、相手
のことを思いやることもせず持論だけをぶちまける、困りますね。深刻
なのは、自分の軽率な言葉がどれほど人の心を傷つけているか気づいて
ないことが多いことです。だから、おろか者のほうがまだ望みがあると
箴言は続いているのです。
なんだか自分のことを言われている様な気がしてなりません。
祝福がありますように。


   関根一夫






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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 9日(月)10時54分38秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.09
ルカによる福音書
◆祈るときには
11:1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエ
スに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教
えてください」と言った。
11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、
/御名が崇められますように。御国が来ますように。
11:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
11:4 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある
人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
+++++
「主の祈り」が教えられています。「御名が崇められますように」とは「御
名が聖とされますように」という意味で「お名前どおりのお方として礼拝さ
れますように」と理解することができます。
ちなみに「御名」とは、たとえばモーセに現れたときに紹介された「わたし
はある」という名前があります。御名が崇められるとは、「神様は、わたし
はある」というお方であり、どんなときでも「いつでもいる、いつでも存す
る」お方としてうなずかれ、そういうお方として礼拝されますように」とい
うことになります。あるいは、イエス様が教えた「私は良い羊飼いです。良
い羊飼いは羊のためにいのちを捨てます」というのがありますが、その名前
とおりのお方として礼拝するということにも通じます。
そして、「御国がきますように」とは、「神の支配が届きますように」「神
の支配が私を覆いますように」というふうに理解することができます。
こう考えると、礼拝などで、言いなれている「主のいのり」に含まれている
内容の豊かさ、その意味深さには驚かされます。あんなふうに、すらすら祈
ってしまってよいものがとさえ、思います。
今日は、ちょっとゆっくりこの箇所を読んでみたらいかがでしょう。
祝福がありますように。


****

【癒す言葉:箴言】
29:12 支配者が偽りの言葉に耳を貸すなら/仕える人は皆、逆らう者となる。
29:13 貧しい人と虐げる者とが出会う。主はどちらの目にも光を与えておら
れる。
29:14 弱い人にも忠実な裁きをする王。その王座はとこしえに堅く立つ。
***
これも、政治を担当する人や上に立ってリーダーシップを発揮する人への教
訓です。
支配者が、「偽りの言葉に耳を貸す」というのは、間違った相談相手を選ぶ
という意味もあるでしょうし、うそだとわかっているのに、それを会見の場
でまことしやかに語るという意味もあるでしょう。
そのどちらも、結果は人に不信感を受け付ける効果しかありません。
何をどう語るかというのは、知恵が必要ですが、見え透いた嘘は信じ込ませ
ようとすればするほど墓穴を掘ることになります。
昨年の大震災後の、そして原発問題発覚後の政府関係者の会見や答弁に「偽
りの言葉」はなかったのだろうか。はたまた、大新聞の報道には「いつわり
の報道」はないだろうか。
何でもかんでもあからさまにできないというのは、わかりますし、人心を不
安に陥れたらパニックが起こるという心配もわかるので、難しいところでし
ょうが、あからさまな「偽り」はやっぱりいやですね。
祝福がありますように。


   関根一夫








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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 8日(日)21時16分28秒
返信・引用
  子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。


         第一ヨハネ 3:6

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イースター礼拝

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 8日(日)21時01分25秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
                 2012.04.08
「復活の現実:み言葉の中に生きる復活の主イエス」
聖書箇所
ルカによる福音書24章13節~35節
24:13 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオ
ン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
24:14 この一切の出来事について話し合っていた。
24:15 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒
に歩き始められた。
24:16 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
24:17 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことで
すか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。
24:18 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在して
いながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかっ
たのですか。」
24:19 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。
「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも
言葉にも力のある預言者でした。
24:20 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にする
ため引き渡して、十字架につけてしまったのです。
24:21 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望み
をかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目
になります。
24:22 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人た
ちは朝早く墓へ行きましたが、
24:23 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イ
エスは生きておられる』と告げたと言うのです。
24:24 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったと
おりで、あの方は見当たりませんでした。」
24:25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く
預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
24:26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのでは
ないか。」
24:27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、
御自分について書かれていることを説明された。
24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされ
る様子だった。
24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、
もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエス
は共に泊まるため家に入られた。
24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈り
を唱え、パンを裂いてお渡しになった。
24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見え
なくなった。
24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださ
ったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
24:33 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一
人とその仲間が集まって、
24:34 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
24:35 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイ
エスだと分かった次第を話した。
***
今日はイースター(復活祭)です。
イースターの祝福を分ち合いたいと思います。
イエス様は、十字架にかかり、私たちの罪、そのものになって死なれ、
私たちのための、身代わり、贖いとなられました。
そのお陰で赦しがもたらされ、神との関係修復が実現するわけですが、
復活は、そのことの確証をもたらすものです。
そればかりか、キリストの復活は、私たちの日常的な生活に対する希望
の源でもあります。

1)十字架の死、脅え、落胆
ここに登場するふたりの弟子は、イエス様の十字架を目の当たりにして、
落胆しています。約束のメシアとして理解し、神と民全体の前で、行い
にも言葉にも力のある預言者として理解していた自分たちの師イエス様
の死がまだ信じられないような雰囲気でエルサレムからエマオに向かっ
て歩いていました。そこに、復活したイエス様が同行するのですが、不
思議なことに彼らにはそれがイエス様だとは思えないのです。悲しみと
落胆の中でまさかそこにイエス様がおられるとは夢にも思っていなかっ
たと思います。また、イエス様もご自分の自己紹介をなさいませんでし
た。

2)イエス様によるみことばの解き明かし

24:25?28
イエス様は聖書全体からご自分のことを解き明かし、「なおも先へ行こ
うとされる様子だった」とあるように、まだまだ話足りないような様子
で、あれこれお話なさいました。どんなふうに話されたのか、一緒に聞
いてみたい気持ちがします。
二人の弟子は宿屋に入り、そこにイエス様も一緒に行くのですが
24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈り
を唱え、パンを裂いてお渡しになった。
24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見え
なくなった。
とあるように、食事の際に、イエス様の所作を見て、彼らの心の眼が開
け、「イエス様だ」とわかるのです
それまで、どうしてわからなかったのでしょう。

3)弟子たちの気づきとイエス様の姿の消滅

二人の弟子が、イエス様だとわかったその時、イエス様の姿は見えなく
なりました。しかし、間違いなく、そこに復活のイエス様がおられまし
た。
彼らは、その確証を「道で話しておられるとき、また聖書を説明してく
ださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」という言葉で
説明しています。
イエス様は見えなくなった、しかし、イエス様がみことばを解き明かし、
ご自分が聖書の約束や預言の成就なのだと悟らせてくださったとき、心
が燃えたではないかと彼らは告白しています。
この告白は重大な意味を持っています。

イエス様の復活という出来事は、確かに、信じる私たちの死の向こうに
希望があることを教えています。イエス様が持っている「死を打ち破る
力あるいのち」が私たちのものとなるという教えがあるからです。
しかし、同時に、イエス様の復活には、私たちが生きている限り、ずっ
と、復活されたイエス様ご自身が「寄り添い・伴い」私たちの人生に同
伴してくださるのだということも明確に教えています。
確かに、イエス様は復活したとはいえ、今、見えないので、友達から「そ
んなこと、あるはずない」と軽蔑的に言われてしまうこともあるかもし
れません。
しかし、この箇所にあるように、私たちが聖書のみことばに触れ、聖霊
が私たちの心を開いて信じる心を届けてくださるとき、復活したイエス
様の教える「みことば」が心を捉えて、私たちを変えてくれるという出
来事を経験することがあるのです。つまり、イエス様は「み言葉」の中
に生きているのです。みことばを通して復活した存在であることをお示
しくださっているのです。

イエス様の復活は、私たちの死の向こうに神様の用意してくださる栄光
の体があり、死を打ち破る希望があることを教えています。
しかし、今私たちはまだ生きているので、死の向こうについては、神様
のご計画と、取り計らいにお任せして、生きている今をイエス様と一緒
に丁寧に生きる努力が大事だと思います。
そのイエス様は、生きておられるからこそ、「みことば」に意味や価値
が出てくるのです。その教え通り、み言葉が私たちの心にイエス様への
愛と信頼をもたらしてくれるからです。復活の主イエス様がみ言葉を通
して、日々私達に寄り添い、私達に語り、ご自身を表してくださるから
です。
イエス様こそ、復活の主であり、永遠の同伴者として、私たちの人生が
どんな状況であっても、ともに歩んでくださり、ともに悩み、悲しんで
くださり、希望のみことばを与えて、私たちの心を燃やし、生きる勇気
や意欲を与えてくださるのです。
罪と死からの救い主イエス様、今も生きて私達に語り続け、導き続け、
赦し続けてくださる主イエス様、万歳!
祝福がありますように。





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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 7日(土)11時40分26秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.07

ルカによる福音書

◆マルタとマリア

10:38 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、
マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、そ
の話に聞き入っていた。
10:40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そ
ばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせ
ていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃ
ってください。」
10:41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い
悩み、心を乱している。
10:42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。
それを取り上げてはならない。」
****
有名なマリアとマルタのお話です。一見、マルタのやっていることが全否定
され、マリアの姿勢だけが受け入れられているような感じがしますが、実際
はどうなのでしょう。
マルタはイエス様のためにもてなそうとあれこれ考えて忙しくしていました。
それ自体が悪いわけではありません。そしてマリアはイエス様の足元で話し
に聞き入っていました。問題はマルタが自分のやっていることが手一杯にな
り、マリアに対して心の中で「まったくしょうがない人だ、この忙しいとき
に自分ばかり良い思いをして…」というような感情を抱いてイエス様に訴え
たことでその心の乱れが明確になりました。

もし、マルタがもてなしの心を持続し、マリアが何をしていようと、自分は
自分で出来る最善を尽くして、喜んでイエス様を迎えられていることを喜ん
でいたとすれば、マルタはマリアのことで文句は言わなかったでしょうし、
イエス様もマルタを賞賛しただろうと思います。
また、マリアも、マルタに向かって「姉さんもここに来て座って話を聴けば
よいのに、まったく…」とイエス様に告げ口するようだったら、マルタに対
する言葉と同じ言葉をイエス様から言われただろうと思います。

私たちは、あれこれ忙しくしていても、集中して出来ることはひとつです。
それに心を込め、愛と喜びの心で向かうことができれば、それがもてなしで
あれ、傾聴であれ、「あなたは、良い方を選びましたね」と言われるのだと
思います。
祝福がありますように。
+++++++++


【癒す言葉:箴言】
29:5 友にへつらう者は/彼の一歩一歩に網を仕掛ける者。
29:6 悪を行う者は罪の罠にかかる。神に従う人は喜びの叫びをあげる。
29:7 神に従う人は弱者の訴えを認める。神に逆らう者はそれを認めず、理解
しない。
29:8 不遜な者らが町に騒動を起こす。知恵ある人々は怒りを静める。
29:9 知恵ある人が無知な者と裁きの座で対すると/無知な者は怒り、嘲笑い、
静まることがない。
29:10 無垢な人を憎み、その血を流そうとする者がある。正しい人々はその
命を助けようとする。
29:11 愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める
*****
悪を行う者、神に逆らう者、不遜な者、無知な者、愚か者、などいろいろな
呼び名を変えて、その特徴を書き出していますが、なんだか自分を言い当て
られているような気がしてなりません。
「不遜な者らが町に騒動を起こす。知恵ある人々は怒りを静める。」「愚か
者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める」という言葉
の中にあるメッセージは本当に心に留めておきたいものです。感情は隠せま
せんが、それが人に与える影響の大きさを考えコントロールできるようにな
りたいものです。

祝福がありますように。



     関根一夫




http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 6日(金)16時00分24秒
返信・引用
     今日の聖句
2012.04.06
ルカによる福音書
◆善いサマリア人
10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言っ
た。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んで
いるか」と言われると、
10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽
くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛し
なさい』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれ
ば命が得られる。」
10:29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とは
だれですか」と言った。
10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って
行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつ
け、半殺しにしたまま立ち去った。
10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向
こう側を通って行った。
10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道
の向こう側を通って行った。
10:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を
見て憐れに思い、
10:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、
宿屋に連れて行って介抱した。
10:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人
に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、
帰りがけに払います。』
10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人
になったと思うか。」
10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエス
は言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
+++
永遠のいのちを受け継ぐためのキーワードは「心から神を愛し、また隣人を
愛する」というものでした。
その言葉を発言することは当時の宗教家には簡単なことだったと思います。
問題は、イエス様が、「それを実行するように」と命じていることにありま
す。「善きサマリア人」と題されるこの物語は、半殺しにされた商売人と宗
教的背景を持つレビ人、祭司、そしてユダヤ人から軽蔑的な反感をもたれて
いたサマリア人によって構成されています。当時の人々にとって、まさかサ
マリア人がこの物語でヒーローになるとは夢にも思っていなかったと思いま
す。しかし、自分のことをさておいても、傷ついた商売人を助け、ケアした
サマリア人こそ、神がもっとも喜ぶ生き方をした人なのだとイエス様は教え
ました。
「ケアの心に生きる」こいういう生き方が見直されなければなりません。多
くのクリスチャンたちは伝道や教会勢力拡大のために生きているかもしれま
せんが、ケアの心が足りなすぎるようにも感じます。信仰を持たせることが
ケアではなく、下心なくパンを分けること、傷に薬をつけ、包帯を巻くこと、
祝福を祈ることこそ神様が求めている、ケアであり、生き方のように感じま
す。それがこの箇所でのメッセージの中心事項のようです。なんだかバイブ
ルワークショップの宣伝のようになってしまいました。
祝福がありますように。



【癒す言葉:箴言】

29:1 責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いや
されることはない。
29:2 正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。
29:3 知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす。
29:4 王は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす。
****
なんだか日本の現状を憂いている感じがするほど現実的に妥当性のありそう
な箴言です。
誠実さ、公正さを追い求める姿勢が政治の中から失われると、あっという間
に増税論が幅を利かせます。
知恵を絞って、今ある資源を活用し、自らの浪費を削除し、公的な仕事の中
にある利権を排除し、計画を立てるということは、確かにとんでもなく難し
いことなのかもしれません。それでも、そういう姿勢をしっかり見せてくれ
なければ、知恵を絞っているとは感じませんし、民が共感できる改革にもな
らないように思います。
国の運営のたまに税金は必須だと思います。しかし、その税に関しては長期
的な見通しや、執行者の税に対する真摯な態度、納税者への配慮などがみた
いものだと思います。

ちなみに今教会の中に献金として定着した制度は「聖書の時代」には「神殿
税」でした。それは税として収められていて、祭司の生活、神殿の維持、ま
た福祉のために活用されていました。
自発的なささげ物は、存在しましたが、とにかく民衆は重税に苦しんでいた
ようです。人頭税、穀物の3分の1税、果実の2分の1税、神殿のための十分の
一税などがありました。新約の時代になり、ヘロデ大王はそれに加えて収穫
物、商品に課税しています。おまけにローマにも税を払うことになりました
から二重の課税に悩むことになったわけです。
今も昔も重税の問題は変わりませんね。
祝福がありますように。


   関根一夫









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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 5日(木)16時26分16秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.05
ルカによる福音書
◆喜びにあふれる
10:21 そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の
主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い
者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、こ
れは御心に適うことでした。
10:22 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子
がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、
子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」
10:23 それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。
「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。
10:24 言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているもの
を見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きた
かったが、聞けなかったのである。」
****
72人の弟子たちの奉仕活動、宣教活動の成功はイエス様にとって、この上な
い喜びとなりました。
社会的には取るに足りない人たちが、神の愛に心を動かされて、癒しと解放
と和解とを持ち運ぶ器とされ、出かけて行き、それぞれに満足して帰ってく
ることが出来た安心と喜びはイエス様にとっても嬉しかったことだったので
す。
そして、弟子たちに「今ここで起こっていること、今私を見ることが出来て
いることは、まさにいにしえの王や預言者たちが望んでいたことなのだ」と
伝えています。
預言者たちが待ち望んでいた「神による解放の時」がまさに、到来したのだ
とイエス様は教えているのです。
私たちも、その延長線上にいるのです。神による解放の時は来ているのです。
祝福がありますように。

+++

【癒す言葉:箴言】
28:21 人を偏り見るのはよくない。だれでも一片のパンのために罪を犯しう
る。
28:22 貪欲な者は財産を得ようと焦る。やって来るのが欠乏だとは知らない。
28:23 人を懲らしめる者は/舌の滑らかな者より喜ばれる。
28:24 父母のものをかすめて/「これは罪ではない」と言う者は/滅ぼそう
とたくらむ者の仲間だ。
28:25 貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。
28:26 自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。
28:27 貧しい人に与える人は欠乏することがない。目を覆っている者は多く
の呪いを受ける。
28:28 神に逆らう者が興ると人は身を隠し/彼らが滅びると神に従う人がふ
える。
****
貪欲への注意が何度か繰り返されています。最近の傾向としては「貪欲」は
悪い意味ではなく、「積極的」「仕事への必死さ」などが含まれる比較的肯
定的な雰囲気で使われているように思います。「あの人は仕事に貪欲だ」と
いう言葉は肯定的な意味があります。映画「ウオールストリート2」のキャ
ッチコピーは「強欲は善だ」でした。ここで強欲と訳されている英語は「貪
欲」とも訳せる言葉です。

しかし、箴言は、貪欲について、最終的には欠乏をもたらし、いさかいを引
き起こすと警告しています。ちなみに貪欲とは「非常に欲が深いさま」「欲
望にまかせて執着しむさぼること」と辞書に出ています。
そして、貪欲は、どんな人にも起こりうるものでもあります。
むしろ、誠実さと分かち合う心、寄り添う心を養うべきだと勧めています。
祝福がありますように。


     関根一夫



http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 4日(水)11時34分46秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.04
ルカによる福音書
◆七十二人、帰って来る
10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
10:18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
****
イエス様に派遣された72人が派遣先での働きが大成功だったので喜んで帰ってきて、イエス様に勝利の報告をしています。イエス様も一緒に喜びますが、しかし、最後に「成功」「勝利」の喜びよりももっと大事なことがあると弟子たちに教えています。それは「あなたがたの名前は天に書き記されている」ということ、これは「存在すべてが神に知られ、神に受け入れられている」ことへの感謝の勧めと考えることができるでしょう。
あれこれ、うまく出来たということは、それ自体すばらしいこと、嬉しいことです。でも、出来ても出来なくても、あなたがそこに生きていることを神に知られ、神に存在自体を受け入れられていることを喜ぶ姿勢は、もっと大事なことなのです。「永遠的に居場所がある」ということになるからです。あなたは、居てよいのです、居るだけで神の心に喜びがあるのです。だからこそ、自らも安心できるのです。
それを「存在論的人間観」と呼びます。今回の講座、ケアリングの最重要課題です。
祝福がありますように。

+++
【癒すことば:箴言】
28:15 獅子がうなり、熊が襲いかかる。神に逆らう者が弱い民を支配する。
28:16 指導者に英知が欠けると搾取が増す。奪うことを憎む人は長寿を得る。
28:17 流血の罪の重荷を負う者は、逃れて墓穴に至る。だれも彼を援助してはならない。
28:18 完全な道を歩む人は救われる。二筋の曲がった道を歩む者は直ちに倒れる。
28:19 自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。空を追う者は乏しさに飽き足りる。
28:20 忠実な人は多くの祝福を受ける。富むことにはやる者は罰せられずには済まない。
+++
国の指導者、社会のリーダーへの教訓と考えることができます。
増税の議論が取りざたされているわが国の指導者たちに、心から届けたい箴言です。
そして、私たちもしっかり心に留めたい言葉です。
「富むことに、はやる人」とは、金儲けのことばかり考え、そのために手段を選ばないような危険を平気でおかす人と理解できるかもしれません。
「お金がすべてだ」と考えやすい世相ですが、忠実な生き方、誠実な生き方、そして勤勉な生き方こそ、やはり尊ばれるべき生き方なのです。
祝福がありますように。

   関根一夫








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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 3日(火)14時47分5秒
返信・引用
  すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。


          ローマ 3:23,24
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 3日(火)14時28分8秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.03
ルカによる福音書
◆悔い改めない町を叱る
10:13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちの
ところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町は
とうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
10:14 しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽
い罰で済む。
10:15 また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思って
いるのか。陰府にまで落とされるのだ。
10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む
者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を
拒むのである。」
*****
同じメッセージを聞いて、ある人は悔い改め、ある人は平気でやり過ごして
しまうということが起こるのは不思議なことですが、その人の心の状態に応
じて反応が違います。これは落語を聴いてみんなが笑うというのとはちょっ
と質が違うようです。話術の良し悪しを超えた「霊的真実」を自分の中に受
け止めることができるかどうか、極端なことを言えば、高慢か謙遜か、自分
の不足に気づいているか、気づいていないかということにも関係しているよ
うに思います。あ、これは牧師の説教という意味ではなく、聖書の言葉に対
する応答のことです。
これは、実は、聖霊によって気づかせてもらうことで、心を開いて聞けるの
です。み言葉の前に、身を低くするという意識が育ってくると、心にすっと
入ってくるのかもしれません。一番の障壁は「自己満足」そして「自己中心」
でしょうか。
祝福がありますように。


+++++++++++++

【癒す言葉;箴言】
28:8 利息、高利で財産を殖やす者は/集めても、弱者を憐れむ人に渡すこと
になろう。
28:9 教えに耳をそむけて聞こうとしない者は/その祈りも忌むべきものと見
なされる。
28:10 正しい人を悪の道に迷い込ませる者は/自分の掘った穴に落ちる。無
垢な人々は良い嗣業を受ける。
28:11 金持ちは自分を賢いと思い込む。弱くても分別ある人は彼を見抜く。
28:12 神に従う人々が喜び勇むと輝きは増し/神に逆らう者が興ると人は身
を隠す。
28:13 罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受け
る。
28:14 いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に
陥る。
****
今朝の日々の聖句の新約聖書の部分と重なる教えがここにあります。
教えに耳を背けて聞こうとしない人、神に逆らう人、自分を賢いと思い込ん
でいる人、などが批判されています。
他人のことは良くわかるのですが、果たして自分の中には、そういう要素は
ないのかなぁと考えると、人のことなど批判できない自分であることに気づ
かされます。
「主よ、憐れんでください」という祈りしか出てきません。
祝福がありますように。








 

スウィーツバイブル  みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 1日(日)18時52分24秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、ローマの信徒への手紙9章30-33節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

9:30 では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。
9:31 しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。
9:32 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。
9:33 「見よ、わたしはシオンに、/つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」と書いてあるとおりです。

――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

パウロはここで「では、どういうことになるのか」と言っています。
パウロはこの言い方、好きみたいです。というのは、同じ9章14節でも「では、どういうことになるのか」と言っているからです。
パウロがこういう言い方をするときは必ず質問をし、その答えを言っています。その質問も自分がわからないから聞いているのではなく、初めから答えがわかっている質問です。

ではここではどうなのでしょうか?
30節、31節で二つの文章を挙げています。しかもこれ、文章の構成としては少しおかしな内容となっています。

では最初の文章を見てみましょう。30節の後半をご覧下さい。
「義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。」
この文章、おかしくないですか?
だって「義を求めなかった異邦人」、ということは通常は「義を得られなかった」と容易に推測出来ますよね。ところがここでは「義を得ました」と言っているのです。逆説的ですよね。こういう文体をパラドックスと言います。

さて、パウロはここで「義を求めなかった異邦人が義を得た」のだと言っています。
異邦人とは私たちのことです。日本人は全員異邦人です。では私たち日本人は義を追い求めていなかったのでしょうか?
ここでいう「義」、それは品行方正となるとか、まじめになるとか、そういう意味ではありません。神様の基準から見た義です。私たちはだれ一人それを求めていませんでしたよね。

ユダヤ人には神様が律法を与えられました。ここで言う律法とはモーセの律法です。しかもイエス様の時代のユダヤ人はそれ以外に何千何万という数の律法が付け加えられていました。それだけの律法を一生懸命努力してまじめに守ってきたのがユダヤ人です。その目的は神様の義の基準に達したいからです。彼らは一生懸命に義を追い求めました。しかし結果は駄目でした。。。

31節には何とありますか?
「しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。」

ユダヤ人が熱心に一生懸命に守ってきた律法、いえ、努力してきたと言った方がよいでしょう。しかしそんなに努力してきたユダヤ人が神様の義に達し得なかったのです。

ところが義を求めてこなかった異邦人である私たちが義を得ました。
私たち日本人には神様の義の基準である律法が与えられていません。それ以前の問題として、真の神様の存在も知らなければ、イエス様のことも知りません。いえ、心を塞ぎ、求めようともしません。
これが私たち日本人の姿です。

義となる基準が無いので、その中心は「自分」であり、周りの人です。善悪の基準は自分であり、周りの人の目、これが私たち異邦人の義の基準です。自分の頭で考え、これは正しい、これは間違っている、これは許される、これは許されないと価値基準が自分で考え、それに従って行動します。そうやって基準は自分、自分、自分、これが私たちの義の基準です。

本来、神様から離れたところにあり、神様の選びの中に入れられていない、そんな私たちが逆に義とされました。これは驚くべき事です。

例えば、ある場所で金塊が隠されているという情報をAさんが得ました。入念に調査し、研究し、自分の財をはたいて必要なものを得、そして発掘しようとしていました。
ところが、そんなことも何もしなず、しかも毎日お酒を飲んでふらふらとし、自由気ままな生活をしているBさんが、ある日ふとこの洞窟が気になり、その洞窟の中に入りました。洞窟に入ると、そこに何と莫大な量の金塊があったのです。そしてその発見者のBさんが大金持ちとなりました。

実はこのBさんが私たち異邦人なのです。何の努力もせず、その日その日を神様からかけ離れたところで自分を基準として生きてきた私たち、ところがある日ある時、金塊を発見しました。それがイエス様です。そしてイエス様を信じただけでまさに大金持ち状態となったのです。
ところが研究し、努力に努力を重ねて金塊を発掘しようとしていたAさん、その努力は水の泡です。実はこれがユダヤ人なのです。

30節の一番最後に何と書いてありますか?「信仰による義を得ました」とあります。
「信仰による義」です。

私たち異邦人が全て義を得るのではありません。日本人の99.5%以上の人々は未だ神様から離れ、自分をある意味神とし、自分を価値基準として、自分自分の生き方をしています。意識しようがしまいが、これが現実です。

しかし残りの約0.5%の人が霊的な金塊を発見し、大金持ちとなったのです。それがイエス様の十字架と復活の福音です。

私たちが救われるためには次の3つを自分のためだと信じ、そこに信頼を置くことが必要です。
1、イエス様が十字架にかかられたこと。
2、イエス様が死に墓に葬られたこと。
3、イエス様が3日目によみがえったこと、それは肉体を持ってよみがえったということです。
この3つを信じるだけで、その信仰によって、ユダヤ人があれほど熱心に追い求めても得られなかった「義」を得、神様はその者たちを義の人と見なしてくださるのです。
ただ、イエス様の十字架は信じられるけど、復活はねぇ。。。。と言う人、復活は信じられないという人は残念ですが義とは見なされません。
しかし、イエス様が十字架に架かられ、墓に葬られ、復活されたことを自分のためだと信じ受け入れるなら、その瞬間に義とされるのです。

これは当たり前ではありません。そしてそこには何の努力も頑張りもありません。ただ信じるだけで良いのです。この恵みを感謝していますか?私たちクリスチャンはただ信じただけ、その信仰によって聖人とされたのです。

今週は受難週、そして4月11日はイースター、イエス様が肉体を持って復活なさった記念日です。イースターを前にして、この恵みを味わい、感謝しませんか?そしてその得た恵みを努力やがんばりで死守するのではなく、恵みの中で主を味わい、主と交わり、聖人、義人とされた恵みを感謝する時としませんか?
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。


★☆★☆★☆★☆
 

礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 1日(日)18時24分38秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
                       2012.04.01
「十字架と赦し」
ローマの信徒への手紙
5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、
不信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を
惜しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたした
ちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を
示されました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのです
から、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことで
す。
5:10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただい
たのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われる
のはなおさらです。
5:11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わた
したちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させて
いただいたからです。
+++
聖書は私たち人間は、神との関係修復が必須であることを明確に教えて
います。

1)人間の現実

パウロは「人間と神との関係」をどう見ているかと言うと、とても深刻
なものとして理解しています。
この箇所を見ても、人間は
1.5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時
に、不信心な者のために死んでくださった。
    人間は「弱い」「Helpless:無能力」であり、「不信心」「不
敬虔」「神様ぎらい」だと断定しています。
2.5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたし
たちのために死んでくださった
    「罪人」「意図的に的外れな生き方を選ぶ反抗的な存在」
3.「神の怒り」「神の敵」
   神の怒りの対象であり、神に敵対している存在であるというので
す。
そして、人間は自分の力でこういう状況を改善することができないので
す。神との関係修復のための手段を私たちは持っていないのです。これ
は深刻な現実です。そして、ここに人間の不幸や死の恐れなどが横たわ
っているのだとパウロは教えるのです。

2)十字架の現実と赦し

無能力、神様ぎらい、罪人、怒りの対象、敵である私たち人間のために
こそ、キリストは来てくださいました。
そういう人間の総代表としてイエスキリストが、父なる神の前に立ち、
裁かれ、打たれ、呪われ、すべての処理のための清算をしてくださいま
した。それが十字架という出来事なのです。キリストの血によって義と
されたという言葉はそれを表明しています。
旧約聖書の時代には、私たちに対する神の裁きの身代りに、羊の血が流
され、いのちがささげられてきました。今まで何万、何千という羊や牛
の命が失われ、血が流され、その犠牲によって神の赦しと関係修復が可
能になったのだという発想がありますが、イエスキリストはまさに、そ
の贖いの羊の血、羊のいのちの役目を担ったのです。

マタイによる福音書27章を読むと、そこには人に捨てられた痛みを担う
キリストの姿が描かれています。
人に捨てられ、神に打たれ、私たちに赦しをもたらそうと死なれたキリ
ストの姿です。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバ
クタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになった
のですか」という意味である。

ルカによる福音書にも
23:34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イ
エスの服を分け合った。
とあります。
キリストは、私たちと神との間に立って、罪のゆるしと関係修復をもた
らしてくださいました。しかも、そのための代価のすべては神の側、キ
リストご自身がすべて担ってくださいました。

3)十字架の出来事のおかげで

パウロはローマの信徒への手紙の中でこう書いています。御子の死によ
り、キリストがわたしのために死んでくださったことにより、という言
葉が希望をもたらす言葉として書かれています。

5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたした
ちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を
示されました。
・・・
5:11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わた
したちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させて
いただいたからです。

キリストが私たち、人間の状況に割って入って、赦しをもたらし関係修
復をもたらしてくださったことによって、私たちの心が変えられ、神を
誇り、神を喜べるようになるのです。

十字架の出来事のおかげで私たちにもたらされたのは、罪の赦しだけで
はありません。私たちの心が、神を喜べるようになるのです。つまり、
礼拝を喜べる心が与えられるのです。
人間の能力不足、人間の不出来が解消されるわけではないのですが、心
が一新され、関係が修復されるので、新しい希望を持つことができるの
です。
神を喜ぶ礼拝者として生きられるようになるのです。それはまさに十字
架による「赦し」の結果です。

祝福がありますように。


 関根一夫







 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 1日(日)18時07分45秒
返信・引用
  神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


           ヨハネ 3:16
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月31日(土)11時55分25秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.31
ルカによる福音書
◆弟子の覚悟
9:57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所
なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
9:58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人
の子には枕する所もない。」
9:59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主
よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
9:60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせな
さい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
9:61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族
にいとまごいに行かせてください。」
9:62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国に
ふさわしくない」と言われた。
++++
自分の熱心と頑張りで、イエス様に従い、弟子としての人生をまっとうでき
ると考えている人に対する教訓的なメッセージがここにあります。弟子の覚
悟が要求されています。イエスに従いながら「安定した」生活を期待するこ
とは出来ないという厳しい内容です。また、親を看取ることもできず、葬儀
に時間が取れないことも起こるし、親子の間の不義理が生じることも起こる
可能性が語られています

「主よ、弟子としてどこまでも従います」と自信満々に近づいている人への
教訓が語られているので、イエス様の弟子として歩むには、「人間的な熱心
さや、頑張りでは無理なのだ」ということがわかれば十分なのかもしれませ
ん。
考えてみれば、こういう厳しい条件に対して「喜んで応じる」ことが出来る
人は、よほどの世間知らずか、文字通り、召しだされた人でなければ、無理
だからです。
つまり、弟子として生きるということを「勲章のように、誇りの素材」にし
てはいけないのです。「私はイエスの弟子です。すごいでしょう」と胸を張
るのではなく、「私はかろうじて、イエスの弟子として後ろのほうをトボト
ボと歩ませていただいています」と言えたら十分なのです。しもべとは、そ
ういうものです。
祝福がありますように。



【癒す言葉;箴言】
27:1 明日のことを誇るな。一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。
27:2 自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、
異邦人にほめてもらえ。
27:3 石は重く、砂も目方がかかる。無知な者が不機嫌なのはどちらよりも重
い。
27:4 憤りは残忍、怒りは洪水。ねたみの前に誰が耐ええようか。
27:5 あらわな戒めは、隠された愛にまさる。
27:6 愛する人の与える傷は忠実さのしるし/憎む人は数多くの接吻を与える。
27:7 飽き足りている人は蜂の巣の滴りも踏みつける。飢えている人には苦い
ものも甘い。
27:8 鳥が巣から飛び去るように/人もその置かれたところから移って行く。
27:9 香油も香りも心を楽しませる。友人の優しさは自分の考えにまさる。
27:10 あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家
には行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる。
27:11 わが子よ、知恵を得てわたしの心を楽しませよ。そうすれば/わたし
を嘲る者に言葉を返すことができる。
27:12 思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。浅はかな者は通り抜けよ
うとして痛い目に遭う。
27:13 他国の者を保証する人からは着物を預かれ。他国の女を保証する人か
らは抵当を取れ。
27:14 友人への祝福も、早朝に大声でするなら/それは呪いと見なされる。
+++
27:2 自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、
異邦人にほめてもらえ。
この箴言は本当に真実だなと思います。自画自賛、自慢話ほど聞きにくいも
のはないですね。かといって、他の人に自分をほめることを頼むわけにもい
かないので、誠実に役割を果たすことしかできません。
とても大事な教訓です。

27:9 香油も香りも心を楽しませる。友人の優しさは自分の考えにまさる。
27:10 あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家
には行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる。
「遠くの親戚より、近くの他人」ということわざの発信源はこの箴言の言葉
です。優しい友人の存在は、本当に大切ですね。一人でも、心を打ち明ける
ことができる友人がいたら、人生は豊かになります。それはl兄弟に言えない
ことの場合もあります。もちろん、兄弟で仲が良いことはすばらしいことで
す。

27:14 友人への祝福も、早朝に大声でするなら/それは呪いと見なされる。
私にとってのこの箴言は、あまり朝早い時間に「日々の聖句」を送ると大迷
惑になるという教訓と結びついています。「日々の聖句を毎日送ってくれる
ことは嬉しいけれど、あまり早い時間に送られると眠りの邪魔になり迷惑で
す。せめて6時半過ぎに送ってください」という注文が時々あります。

出来るだけ、6時過ぎに送るようにしていますが、その時間に私が移動しなけ
ればならない場合には、難しいことがあります。
とにかく、迷惑にならないように、呪いにならないようにと願いつつ、配信
を続けてきました。
私としては、愛読いただき、本当にありがたいです。
これからも、よろしくお願いします。
祝福がありますように。








 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月30日(金)23時47分57秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年3月30日(金)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 その時、イエスは弟子たちに言われました。
「今夜あなたがたはみな、わたしを見捨てて逃げるでしょう。
聖書(旧約)に、『わたしが羊飼いを打つ。 すると羊の群れは
散り散りになる』と書いてあるから……。
だが、わたしは復活して、もう一度ガリラヤに行きます。
そこであなたがたに会います。」
「たとい、みんながあなた様を見捨てようと、私だけは、この私だけは
絶対に、見捨てなどいたしません」と叫ぶペテロに、
イエスは言われました。 「はっきり言いましょう。 あなたは今夜
鶏が鳴く前に、三度、わたしを知らないと言います。」
しかしペテロは、「死んでも、あなた様を知らないなどとは申しません」
と言いはり、ほかの弟子たちも、口々に同じことを言いました。
それからイエスは、弟子たちを連れて、木の茂ったゲツセマネの園に
行かれました。 そして弟子たちに、「わたしが向こうで祈っている間、
ここに座って待っていなさい」と言い残し、
ペテロと、ゼベダイの子ヤコブとヨハネだけを連れて、さらに
奥のほうへ行かれました。 その時です。 激しい苦痛と絶望が
イエスを襲い、苦しみもだえ始められました。
「ああ、恐れと悲しみのあまり、今にも死にそうです。 ここを離れずに、
わたしといっしょに目を覚ましていなさい。」
三人にこう頼むと、イエスは少し離れた所に行き、地面にひれ伏して
必死に祈られました。 「父よ。 もし、もしできることなら、
この杯を取り除いてください。 しかし、わたしの思いどおりにではなく、
あなたのお心のままになさってください!」
           マタイ26:31-39(リビングバイブル)

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月30日(金)23時37分45秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.30
ルカによる福音書
◆サマリア人から歓迎されない
9:51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を
固められた。
9:52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備
しようと、サマリア人の村に入った。
9:53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指し
て進んでおられたからである。
9:54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を
降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
9:55 イエスは振り向いて二人を戒められた。
9:56 そして、一行は別の村に行った。
+++++
天に上げられる時期、とか、エルサレムに向かう決意というのは、まさにイ
エス様が自分の最後を意識しておられたという表現です。そして、エルサレ
ムに向かう決意を固めたことで、サマリア人から拒絶されます。サマリア人
は礼拝の中心地がエルサレムではなく、ゲリジム山でしたので、あえて反発
されたことが記録されています。宗教的反目というのは、実に根が深く、寛
容になりにくい要素が大きいですね。
しかし、そのことでイエス様の心は乱されたわけではなく、彼らに対する憤
りをイエス様は持っていませんでした。むしろ、弟子たちが憤っています。
この記事は、十字架への道が、困難な道であることを予測させるものとして
書かれているといわれています。すんなりエルサレムに着けないわけです。
しかし、困難であっても、イエス様の行くべき道はエルサレムでした。
最終的には使命を完遂します。
祝福がありますように。
++


【癒す言葉;箴言】

26:1 夏の雪、刈り入れ時の雨のように/愚か者に名誉はふさわしくない。
26:2 鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うこ
とはない。
26:3 馬に鞭、ろばにくつわ/愚か者の背には杖。
26:4 愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな/あなたが彼に似た者と
ならぬために。
26:5 愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ。彼が自分を賢者だと思い
込まぬために。
26:6 愚か者に物事を託して送る者は/足を切られ、不法を呑み込まされる。
26:7 愚か者の口にすることわざは/歩けない人の弱い足。
26:8 愚か者に名誉を与えるのは/石投げ紐に石を袋ごとつがえるようなもの
だ。
26:9 愚か者の口にすることわざは/酔っぱらいの手に刺さるとげ。
26:10 愚か者を雇い、通りすがりの人を雇うのは/射手が何でもかまわず射
抜くようなものだ。
26:11 犬が自分の吐いたものに戻るように/愚か者は自分の愚かさを繰り返
す。
26:12 自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ
希望が持てる。
***
なんと明快な「愚か者」の定義集でしょう。
26:7 愚か者の口にすることわざは/歩けない人の弱い足。
26:8 愚か者に名誉を与えるのは/石投げ紐に石を袋ごとつがえるようなもの
だ。
26:9 愚か者の口にすることわざは/酔っぱらいの手に刺さるとげ。

などのことわざは、まるで、牧師であることに甘んじ、たどたどしい私の説
教への批判のような気がします。あまりに、言い当てられて言葉もないほど
です。
愚かさを少しずつ、勤勉さや賢さに変えていただきながら前に進みたいもの
です。
「主よ、愚かな私を憐れんでください」
祝福がありますように。
関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月29日(木)11時38分3秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.29
ルカによる福音書
◆逆らわない者は味方
9:49 そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出してい
る者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせよ
うとしました。」
9:50 イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない
者は、あなたがたの味方なのである。」
****
弟子たちの心の中にイエス様の権威と信頼を独占したいという気持ちがあっ
たことは明瞭です。だからこそ、他の人がイエス様の名前を用いて悪霊を追
い出しているのをやめさせたわけですから。
そして、おそらくそういう行動の背後に、それらの人への嫉妬心もあっただ
ろうと思います。ちょっと前の箇所では弟子たちに悪霊を追い出すことがで
きなかったという記事がありました。
イエス様は、自分と同じ派に属していなくても、その人が逆らわないのであ
れば味方なのだと教えました。

むやみやたらと、他の教会やクリスチャンたちを批判したり、排斥したりす
ることはイエス様の喜ぶことではありません。全部を好きになれるはずもあ
りませんが、神様からの祝福がありますようにと祈れる心が欲しいですね。
祝福がありますように。



++

【癒す言葉:箴言】
◆ソロモンの箴言
25:8 性急に争いの場に引き出そうとするな。そのため友人に嘲られることに
なったら/将来どうするつもりか。
25:9 自分のことについて友人と言い争うのはよいが/他人の秘密を漏らして
はならない。
25:10 それを聞いた人があなたを恥に落とし/あなたの悪評は去らないであ
ろう。
25:11 時宜にかなって語られる言葉は/銀細工に付けられた金のりんご。
25:12 聞き分ける耳に与えられる賢い懲らしめは/金の輪、純金の飾り。

25:13 忠実な使者は遣わす人にとって/刈り入れの日の冷たい雪。主人の魂
を生き返らせる。
25:14 雨雲が垂れこめ風が吹くのに雨が降らない。与えもしない贈り物につ
いて吹聴する人。
25:15 忍耐強く対すれば隊長も誘いに応じる。穏やかに語る舌は骨をも砕く。
25:16 蜂蜜を見つけたら欲しいだけ食べるがよい。しかし食べ過ぎて吐き出
すことにならぬように。
25:17 友人の家に足を運ぶのはまれにせよ/飽きられ、嫌われることのない
ように。

25:21 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を
飲ませよ。
25:22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられ
る。

25:23 北風は雨をもたらし/陰口をたたく舌は憤りの表情をもたらす。
25:25 渇いた喉に冷い水、遠い地からの良い便り。
***
箴言として選ばれているだけのことはありますね。
何度か読んでいると、心にすっと入ってくる教訓です。心が広くなるような
感じ、心が上に向く感じがします。どれもこれも具体的な提案を含んでいる
ので、わかりやすいものばかりです。
今日一日、これらの箴言をしっかり心に留めながら、人と関わっていきたい
ものです。
今朝、私が心に留めるべき言葉は
「25:21 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水
を飲ませよ。
25:22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられ
る。」
かなぁ。
別に憎んでいる人がいるわけではないのですが、なんだか気になる言葉です。
祝福がありますように。



     関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月28日(水)22時48分6秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.28
ルカによる福音書
◆いちばん偉い者
9:46 弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起
きた。
9:47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそば
に立たせて、
9:48 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを
受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった
方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い
者である。」
***
いちばん偉いのは誰か、一番神様に気に入られているのは誰かという議論は
弟子たちの大好きな議論だったようです。イエス様はここでは、「あなた方
の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」と言われました。黙って子供
に寄り添い、子供を受け入れる心を持っている人、子供は代価を払うことも、
感謝を表明することもできませんが、偉ぶることなく、自分を子供と同等の
ところに引き下げてでも、その子供の幸せを願って共にいることが出来る人。
イエス様はそういう人を、すばらしい存在として評価なさいました。
私たちは、いつの間にか、評価を求め、目立ちたがり、能力を競い合うこと
で価値判断をしがちです。
イエス様は、最も小さい者こそ最も偉いと言われました。がんばればがんば
るほど、大きくなってしまうのが私たちです。神の恵みを喜びながら、名前
や肩書きや評価を脇において、威張らず、飾らず、子供にも大人にも寄り添
うことが出来る人、そういう人になりたいですね。

++

【癒す言葉:箴言】
◆賢人の言葉
24:23 これらもまた、賢人の言葉である。裁判でえこひいきをするのは良く
ない。
24:24 罪ある者を正しいと宣言するなら/すべての民に呪われ、すべての国
にののしられる。
24:25 罪ある者を懲らしめる人は喜ばれる。恵みと祝福がその上にある。
24:26 正しい答えをする人は、くちづけをする人。
24:27 外ではあなたの仕事を準備し、畑を整え/それから、家を築くがよい。
24:28 いいかげんに友人の証人となってはならない。自分の唇で惑わされた
いのか。
24:29 「人がわたしにするように/わたしもその人に対してしよう。それぞ
れの行いに応じて報いよう」とは/あなたの言うべきことではない。
24:30 怠け者の畑の傍らを/意志の弱い者のぶどう畑の傍らを、通ってみた。
24:31 見よ、いらくさが一面に茂り/あざみが覆い尽くし、石垣は崩れてい
た。
24:32 わたしはそれに心を向け、観察した。それを見て、諭しを得た。
24:33 「しばらく眠り、しばらくまどろみ/手をこまぬいて、またしばらく
横になる。
24:34 貧乏は盗賊のように/欠乏は盾を取る者のように襲う。」
****
不正な裁判があってはならないこと、結婚して家庭を築く前にきちんと収入
を確保しておくべきこと、簡単に保証人になるべきではないこと、報復や復
習を考えるべきではないこと、怠け者になってはいけないことなど、具体的
な人生訓が書かれています。
しかし、今も昔も、人の生き様は変わっていませんね。こういう警告の言葉
は、今の私たちにも十分適用されるべきものです。
祝福がありますように。


        関根一夫






 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月27日(火)15時31分31秒
返信・引用
    ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年3月27日(火)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 イエスが
『 ユダよ。 さあ、おまえのしようとしていることを、しなさい』
と言われたその瞬間、人々はてんでに飛びかかり、イエスを捕らえました。
その時、イエスといっしょにいた一人が、さっと剣を抜き放つと、
大祭司の部下の耳を切り落としました。
ところが、イエスは彼を制せられたのです。
『 剣をさやに納めなさい。 剣を使う者は、自分もまた剣で殺される
のです。 わからないのですか。 わたしが願いさえすれば、
父が何万という御使いを送って、わたしを守ってくださるのです。
しかし、もし今そんなことをしたら、こうなると書いてある聖書(旧約)
のことばが実現しないではありませんか。』
そして今度は、群衆に向かって言われました。
『 剣やこん棒で、これほどものものしく武装しなければならないほど、
わたしは凶悪犯なのでしょうか! わたしが毎日神殿で教えていた時には、
手出しもできなかったではありませんか。だがいいですか、こうなったのは
すべて、預言者たちのことばが実現するためなのです。』
もうこの時には、弟子たちはみな、
イエスを見捨てて逃げ去っていました。」
           マタイ26:50-56(リビングバイブル)

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月27日(火)14時21分18秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.27
ルカによる福音書
◆再び自分の死を予告する
9:43 イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子た
ちに言われた。
9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡さ
れようとしている。」
9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠
されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
***
イエス様の最終目的は、奇跡で人を驚かせることではなく、もっと深刻な出
来事にありました。
奇跡や癒しは、それぞれに神がイエス様を通してこの世界に介入しておられ
ること、神が人を生かし、そのいのちを尊いものとして考えていることなど
を示しています。
しかし、イエス様は何度もご自分がエルサレムで犯罪人のように捕らえられ、
苦しみを受けることを予告なさいました。弟子たちは、それについて怖くて
質問することが出来なかったと記録されています。
非常事態が想定されています。私たちは前もってこの先を読むことが出来る
わけですが、弟子たちにしてみれば、まさにこれから何が起こるのかわから
なかったわけですから、その恐れは大変なものだったと思います。自分たち
の先生の身に恐ろしいことが起こりそうだという予感が彼らの心を凍りつか
せてしまっています。
しかし、自分のこれからの人生の不確実さという点では、私たちも同じです。
平静な心がもたらされますように。

***

【癒す言葉:箴言】

24:1 悪者のことに心を燃やすな/彼らと共にいることを望むな。
24:2 悪者が心に思いめぐらすのは暴力。唇が語るのは労苦を引き起こすこと。
24:3 家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。
24:4 知識は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる。
24:5 知恵ある男は勇敢にふるまい/知識ある男は力を発揮する。
24:6 戦争には指揮する力が必要であり/勝利を得るためには作戦を練るべき
だ。
24:7 無知な者に知恵は高尚すぎる。城門で口を開くべきではない。
24:8 悪意ある考えを持つ者は陰謀家と呼ばれる。
24:9 無知の謀は過ちとされる。不遜な態度は人に憎まれる。
24:10 苦難の襲うとき気力を失い、力を出し惜しみ
24:11 死に捕えられた人を救い出さず/殺されそうになっている人を助けず
24:12 「できなかったのだ」などと言っても/心を調べる方は見抜いておら
れる。魂を見守る方はご存じだ。人の行いに応じて報いを返される。
24:13 わが子よ、蜜を食べてみよ、それは美味だ。滴る蜜は口に甘い。
24:14 そのように、魂にとって知恵は美味だと知れ。それを見いだすなら、
確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない。
24:15 神に逆らう者よ、神に従う人の住みかを狙うな。その憩いの場で暴力
を振るうな。
24:16 神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えば
つまずく。
24:17 敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな。
24:18 主がそういうあなたを見て不快とされるなら/彼への怒りを翻される
であろう。
24:19 悪事を働く者に怒りを覚えたり/主に逆らう者のことに心を燃やすこ
とはない。
24:20 悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える。
24:21 わが子よ、主を、そして王を、畏れよ。変化を求める者らと関係を持
つな。
24:22 突然、彼らの不幸は始まる。この両者が下す災難を誰が知りえよう。
******
24:10 苦難の襲うとき気力を失い、力を出し惜しみ
24:11 死に捕えられた人を救い出さず/殺されそうになっている人を助けず
24:12 「できなかったのだ」などと言っても/心を調べる方は見抜いておら
れる。魂を見守る方はご存じだ。人の行いに応じて報いを返される。
という言葉が心にとても強烈に飛び込んできました。
言い訳や怠惰を避け、誠実に知恵を求めながら、一生懸命生きる姿勢を保て
たらいいなと心から思います。
祝福がありますように。







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月26日(月)12時56分35秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.26

ルカによる福音書
◆悪霊に取りつかれた子をいやす
9:37 翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。
9:38 そのとき、一人の男が群衆の中から大声で言った。「先生、どうかわた
しの子を見てやってください。一人息子です。
9:39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれ
んを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。
9:40 この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できま
せんでした。」
9:41 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければな
らないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」
9:42 その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚
れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。
9:43 人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。
++++
弟子たちは、悪霊を追い出す力や病を癒す力をすでに授かっていました。し
かし、このときの様子を見ると彼らはまったく無力であり、周囲の人たちに
幻滅感を与えてしまっています。もしかすると、弟子たちは自信満々で、ま
るですべての力を持っているような横柄な態度でこの問題に取り掛かったの
かもしれません。しかし彼らの中に、純粋な神への信仰はありませんでした。
よくよく考えれば、直接悪霊に命じる力があるのは、イエス様だけなのです。
イエス様にどれだけ叱責されても、私たちは常に不信仰であり、イエス様を
あてにする以外方法がないのです。イエス様に取って代わって代理人の役割
を果たすことはできません。イエスの御名を信頼し、イエス様をあてにしな
がら立ち向かう以外手段はないのです。
すべての権威は弟子たちや、私たちの中にではなく、イエス様の中にこそあ
るからです。私たちを通して何か良いことが起こるとすれば、それは私の力
によるのではなく、私を強くしてくださるお方、すなわち、イエス様のおか
げでそれが起こったということなのです。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
23:1 支配者と共に食卓に着いたなら/何に直面しているのかをよく理解せよ。
23:2 あなたが食欲おうせいな人間なら/自分の喉にナイフを突きつけたも同
じだ。
23:3 供される珍味をむさぼるな、それは欺きのパンだ。
23:4 富を得ようとして労するな/分別をもって、やめておくがよい。
23:5 目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び
去る。
23:6 強欲な者のパンを食べようとするな。供される珍味をむさぼるな。
23:7 彼はその欲望が示すとおりの人間だ。「食べるがよい、飲むがよい」と
言っても/心はあなたを思ってはいない。
23:8 あなたは食べたものを吐き出すことになり/あなたが親切に言ったこと
も台無しになる。
23:9 愚か者の耳に語りかけるな/あなたの見識ある言葉を侮るだけだから。
23:10 昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑を侵してはならない。
23:11 彼らを贖う神は強く/彼らに代わってあなたと争われるであろう。
23:12 あなたの心を諭しの言葉に/耳を知識の言葉に傾けよ。
+++++
映画、「ウォールストリート」の中に出てくる世界のような場面が紹介され、
気をつけるようにと警告がなされています。あの映画では、「貪欲は善だ」
という姿が映し出されており、この箴言に挑戦しているような内容になって
います。
今朝の箇所は、まさに現代社会に直接語りかけているような箴言です。しっ
かり、読んで思い巡らしてみましょう。
心に幸せが届きますように。



          関根一夫






 

礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月25日(日)20時14分35秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
2012.03.25


旧約聖書の人物伝


「ノア:慰めの人」

創世記6章?

1)人間のケアの心の放棄

この箇所には、性的な混乱や、主への畏れの欠如などがだんだん悪化してい
る様子を連想することができます。本来、人は神の心を大切に考え、主を畏
れつつ、自分を律し、他者を愛し、ケアの心で関係を保つべきことが求めら
れていました。しかし、そこに勝手気ままな欲求だけを土台にした風潮が育
って来ました。もはや神の心などどうでも良いものという意識が育ち、礼拝
の心が風化していったのです。

6:1 さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にし
た。
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。
人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
6:4 当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の
娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。
6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている
のを御覧になって、
6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
6:7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろ
う。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったこ
とを後悔する。」
6:8 しかし、ノアは主の好意を得た。

2)神に従う無垢な人_ノア

そんな中でノアの存在は意味深いものでした。ノアという名前は「慰め」と
いう意味があります。彼の存在は人に対しても家族に対しても、そして神に
とっても、慰めを感じさせるものだったのかもしれません。
彼は従順な、主を畏れることを知っている礼拝者でした。その生活態度が品
行方正、罪が全くなかったと言うことではないと思います。しかし、彼の心
には、神を礼拝し、神の心を丁寧に求めつつ生きることの大切さをしってい
たのです。それが神の目に留まったといっても良いのだと思います。彼の従
順さはこの物語の中に何度も書かれています。
6:9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人で
あった。ノアは神と共に歩んだ。
6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。
7:5 ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。

3) ケアの心を持つノア

神は、ノアに難しい内容を伝えました。生き延びるために大きな船を作ると
いう作業でした。そもそも、ノアが船そのものを知っていたかどうかさえ怪
しいものです。しかし、ノアは丁寧にそれに取り組みました。
新約聖書ヘブライ人への手紙の中には
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けた
とき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰
によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。
とあります。
ノアの船造りの作業は、神への礼拝の心による促しと、家族のため、神が助
けようとしている動物などを守り、生き残るためという「ケアの心」からだ
ったようです。つまり、ノアは最初の人間に伝えられた命令の中心的なメッ
セージを心に留めていた人だったのです。
それは、創世記の1章
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わ
せよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
この支配という言葉は、神の心でケアするという意味です。

7:7 ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。
7:8 清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、
7:9 二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおり
に、雄と雌であった。
7:13 まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この
三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。
7:14 彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、
それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、
7:15 命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。
7:16 神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、
ノアの後ろで戸を閉ざされた。

4)ノアの洪水の位置づけ

聖書には、水の中を通過するという出来事を通して、神の裁きや神への悔い
改め、また神への信頼の表明を表現している内容がいくつかあります。
モーセが海を渡ったという話。ヨナがさかなに食べられたという話。イエス
様の湖での嵐を鎮めるという話。洗礼式など。
ノアの場合には、裁きとして洪水が描かれています。
しかし、これは特別な意味がありました。それは創造の物語の更新という出
来事として書かれているからです。
9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に
満ちよ。
9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべ
ての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねら
れる。
9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わた
しはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求す
る。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間
の命を賠償として要求する。
9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどっ
て造られたからだ。
9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」
9:8 神はノアと彼の息子たちに言われた。
9:9 「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
9:10 あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や
家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のす
べての獣と契約を立てる。
9:11 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なる
ものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも
決してない。」
9:12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべて
の生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
9:13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の
間に立てた契約のしるしとなる。

私たちは災害を、神からの裁きとか、天罰とかというふにすべてを決めつけ
るべきではありません。しかし、そういう出来事の中で、自分の生き方、過
ごし方を考えたり、思い直したりすることは有益でしょう。

5)覚えておられる神:神はケアの心に満ちたお方

洪水は40日40夜。そしてそのあと150日にわたって水が増え続けまし
た。すでに190日船の中です。
その間、箱舟の中でノアとその家族、動物たちはどういう気分でいたでしょ
う。
もしかすれば、滅ぼされたのは自分たちかもしれないと感じたかもしれませ
ん。ノアのケアの心が壊れそうになっていたのではないかと思います。
しかし、ここに素晴らしい恵みの言葉が記録されています。
「8:1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に
留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」

神は、ノアも家族も動物も忘れてはいませんでした。
ノアは、「ケアの心をもっておられる神」を信じて箱舟に乗り込んだのです。
嵐にもまれる箱舟の中で、御心を留めてくださっている神が背後にいてくだ
さると信じる事ができるとすれば、幸いなことです。
なかなか光が見えない状況の中で、神はきっと知っていてくださると信じ、
誠実に役割をはたすことができるなら、それは幸いなことだと思います。ノ
アの方舟作りと、その中での体験は、神を礼拝し、わがままな自己中心の生
き方ではなく、ケアの心をもって互いに生きることの大切さと、神はケアの
心に満ちておられる存在であることが、重要事項として教えられているので
す。
ノアはその中で、神への畏れと、家族や動物へのケアの心を豊かに持ってい
た人物でした。

祝福がありますように。


            関根一夫






 

スウィーツバイブル  みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月25日(日)00時34分13秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、ローマの信徒への手紙9章27-29節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

9:27 また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。
9:28 主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」
9:29 それはまた、イザヤがあらかじめこう告げていたとおりです。「万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったら、/わたしたちはソドムのようになり、/ゴモラのようにされたであろう。」

――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

前回、旧約聖書のホセア書から神様がイスラエルの民を、そして私たち異邦人クリスチャンをどれだけ愛しておられるのかということを学びました。それは一方的な憐れみであり、私たちを憐れみの器としてお用いになるためです。

さて、今日はその続きです。
パウロはホセア書から私たち異邦人クリスチャンに対する神様の愛を、憐れみを語りましたが、今度はイスラエルの民について、同じ旧約聖書のイザヤ書から引用して語っています。

この箇所ですが、9章27-28節はイザヤ書10章22-23節から、29節は同じくイザヤ書1章9節からの引用です。
ではパウロはここでイザヤ書のこれらの箇所から引用して、何をローマの教会の人たちに伝えようとしていたのでしょうか?
それは神様の御計画は少数のイスラエルの民、つまり真の神様を信じ、信頼を置いている人たちを通して為されているということです。

9章27-28節をご覧下さい。

☆★☆★☆★☆★☆
9:27 また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。
9:28 主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」
☆★☆★☆★☆★☆

イスラエルの民は決して優等生ではありません。ましてや聖人君主でもありません。ある意味それとは真逆と言ってもいいかもしれません。何度も何度も神様を悲しませた民です。とうの昔に滅ぼされてもおかしくありません。しかし、今日に至るまでイスラエルはずっと存続しました。国を奪われ、ちりぢりにされました。しかし尚存続し、聖書の預言通りに1947年にイスラエルは再び国を持ったのです。

ではそれは何故でしょう?
聖書は言っています、「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであても、残りの者が救われる。」
そう、「残りの者」がいるからです。
この「残りの者」とは神様を信じ、依り頼み、主の心を心としている人たちのことです。それは少数の人たちです。この「残りの者」という言葉をレムナントといいます。
この残りの者、レムナントは旧約聖書の時代から今日に至るまで絶やしたことはありません。神様は常に残りの者を彼らの中に置いてくださっているのです。
今日のレムナント、残りの者はメシアニックジューと言って、ユダヤ人の人たちでイエス様の十字架と復活を自分のこととして信じ、イエス様こそメシア、救い主だと受け入れている人たちです。メシアニックジューの人たちがいるから、今もイスラエルは存続しているのです。

28節をご覧下さい。
☆★☆★☆★☆★☆
主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。
☆★☆★☆★☆★☆

主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われます。ではどのようにして行われるのでしょうか?
そう、イスラエルの残りの者、レムナントを通してです。
私たちはメシアニックジューの人たちのため、そしてユダヤ人の救いのために祈る必要があります。
神様の御心と反対に、イスラエルにおいては未だメシアニックジューの人たちへの迫害は続いています。彼らの守り、信仰生活のため、そして聖書に忠実に立つように祈る必要があり、ユダヤ人が真のメシアであるイエス様に対して心開くように私たちは祈り求める必要があります。

さて、ではもしイスラエルの残りの者、レムナントがいなくなったらどうなるでしょう?
29節をご覧ください。
☆★☆★☆★☆★☆
それはまた、イザヤがあらかじめこう告げていたとおりです。「万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったら、/わたしたちはソドムのようになり、/ゴモラのようにされたであろう。」
☆★☆★☆★☆★☆

あの罪の町ソドムとゴモラが滅ぼされたようにイスラエルもまた滅ぼされるのです。
神様はいつもこの少数のイスラエルの残りの者に目を注がれ、彼らがいるから守っていてくださっているのです。

さて、ここで私たちの国日本に目を転じてみましょう。
日本人クリスチャンは全人口の内1%と言われています。しかし新生したクリスチャンはその半分、0.5%いるかいないかでしょう。これが今の日本の現状です。
しかしこの少数派、つまり残れる者である私たち日本人キリスト者が愛する我が日本のために、政府のために、この国の守りのために、そして日本人の救いのために純粋に主に求め、祈る時、この日本は変わります。そして私たちがこの国のために執り成し祈ることによって、この国は守られるのです。

あの3.11の東日本大震災以来、この国は劇変しました。人々の希望が失われ、連日のように関東に直下型の大地震が起こると言われ、東海大地震への恐れ、富士山の噴火がそろそろだということも言われ、人々の心は恐れに満ちています。これが今の日本の状況です。

でもこの中にあって私たち少数の日本人キリスト者がこの国のために執り成すとき、主はその祈りに必ず応えてくださいます。

共に祈りましょう!この国のため、救いのため、日本にリバイバル、霊的覚醒が起こされるように!!
私たち日本人の中の残れる者の祈りは大きいのです。

祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。。


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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月25日(日)00時21分54秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.24
ルカによる福音書
◆イエスの姿が変わる
9:28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、
およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
9:29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に
輝いた。
9:30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤであ
る。
9:31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとして
おられる最期について話していた。
9:32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光
に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。
9:33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言っ
た。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小
屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、も
う一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、
分からなかったのである。
9:34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の
中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
9:35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声
が雲の中から聞こえた。
9:36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈
黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
***
山の上でイエス様の顔の様子が変わり、そこにモーセとエリヤが現れ、
会話をし、イエス様の最後について話をしていたという記事です。モー
セは偉大な預言者であり、解放をもたらすために神に選ばれた指導者で
す。
エリヤは列王記下17章などに活動が紹介されていますが、まさに神の人
として、預言者として、大活躍します。そして彼は天にあげられます。
旧約聖書を代表するふたりの預言者がイエス様の最後、その死に注目し
ているわけです。
自分たちが働いた解放の出来事よりもはるかに重大な役割をイエス様が
担っているからです。
弟子たちは、天からの声を聞きます、「これはわたしの子、選ばれた者、
これに聞け」
まさに、これはイエス様がどういう存在なのかを教える大事な宣言です。
モーセとエリヤが注目しているというイエス様の最後とは、どういうも
のなのでしょうか。
期待しながら読み進めましょう。
祝福がありますように。


++

【癒すことば:箴言】
◆賢人の言葉
22:17 耳を傾けて賢人たちの言葉を聞け。わたしの知識に心を向けよ。
22:18 それをあなたの腹に納め/ひとつ残らず唇に備えておけば喜びを
得る。
22:19 あなたが主に信頼する者となるように/今日、あなたに教えを与
えよう。
22:20 わたしの意見と知識に従って三十句/あなたのために書きつけよ
うではないか。
22:21 真理とまことの言葉をあなたに知らせるために/まことの言葉を
あなたの使者に持ち帰らせよう。

22:22 弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門
で踏みにじってはならない。
22:23 主は彼らに代わって争い/彼らの命を奪う者の命を、奪われるで
あろう。
22:24 怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。
22:25 彼らの道に親しんで/あなたの魂を罠に落としてはならない。
22:26 手を打って誓うな、負債の保証をするな。
22:27 償うための物があなたになければ/敷いている寝床まで取り上げ
られるであろう。
22:28 昔からの地境を移してはならない/先祖の定めたものなのだから。
22:29 技に熟練している人を観察せよ。彼は王侯に仕え/怪しげな者に
仕えることはない。
+++
まさに、生きる知恵が語られている賢人の言葉です。学習の重要さ、ど
ういう人を友とすべきかの教訓、
保証人になることへの警告、そして良いものを観察することの大切さな
ど、じっくり読んで心にとめるべき
教訓です。私も今日の糧としたいと思います。

祝福がありますように。






 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月23日(金)21時47分50秒
返信・引用
  あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。



            ヨハネ 14:1
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月23日(金)16時24分26秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.23
ルカによる福音書
◆イエス、死と復活を予告する
9:21 イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じ
て、
9:22 次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、
祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することに
なっている。」
9:23 それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、
自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
9:24 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命
を失う者は、それを救うのである。
9:25 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失っ
たりしては、何の得があろうか。
9:26 わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる
天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
9:27 確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見る
までは決して死なない者がいる。」
***
十字架の苦難は弟子たちにとっても、他の人にとっても、まだこの時点
では秘密とされていました。その苦難の意味や内容はイエス様にしか分
かっていませんでした。
イエス様は、ご自分の弟子たちに向って弟子としての心がけというか、
決意のあり方を教えています。
「自分を捨てる」「日々十字架を背負う」「キリストに従う」というも
のです。それによって、命を得ることになるのだと教えておられます。
これらの姿勢は「がんばり」を励ますものではなさそうです。というの
も、頑張っても持続できず、頑張ってもイエス様のようには生きられな
いからです。
イエス様の中に身を置くこと、イエス様の苦難を自分のためだったと深
く認識し、自分の不出来の恥をさらしながらでも、イエス様の心を教え
ていただこうとする生き方、キリストの中に留まろうとする生き方こそ、
弟子の姿勢なのだろうと思います。
しかし、これは決して世捨て人になることでもありません。キリストは
社会の底辺で悩み苦しんでいる人たちの真ん中で生きたからです。
祝福がありますように。

+++

【癒す言葉:箴言】
23:1 支配者と共に食卓に着いたなら/何に直面しているのかをよく理解
せよ。
23:2 あなたが食欲おうせいな人間なら/自分の喉にナイフを突きつけた
も同じだ。
23:3 供される珍味をむさぼるな、それは欺きのパンだ。
23:4 富を得ようとして労するな/分別をもって、やめておくがよい。
23:5 目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に
飛び去る。
23:6 強欲な者のパンを食べようとするな。供される珍味をむさぼるな。
23:7 彼はその欲望が示すとおりの人間だ。「食べるがよい、飲むがよい」
と言っても/心はあなたを思ってはいない。
23:8 あなたは食べたものを吐き出すことになり/あなたが親切に言った
ことも台無しになる。

23:9 愚か者の耳に語りかけるな/あなたの見識ある言葉を侮るだけだか
ら。
23:10 昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑を侵してはなら
ない。
23:11 彼らを贖う神は強く/彼らに代わってあなたと争われるであろう。
23:12 あなたの心を諭しの言葉に/耳を知識の言葉に傾けよ。
23:13 若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても、死ぬことはない。
23:14 鞭打てば、彼の魂を陰府から救うことになる。
23:15 わが子よ、あなたの心が知恵を得れば/わたしの心は喜び祝う。
23:16 あなたの唇が公正に語れば/わたしのはらわたは喜び躍る。
23:17 罪人らのことに心を燃やすことはない/日ごと、主を畏れること
に心を燃やすがよい。
23:18 確かに未来はある/あなたの希望が断たれることはない。

23:19 わが子よ、聞き従って知恵を得よ。あなたの心が道をまっすぐに
進むようにせよ。
23:20 大酒を飲むな、身を持ち崩すな。
23:21 大酒を飲み、身を持ち崩す者は貧乏になり/惰眠をむさぼる者は
ぼろをまとう。
23:22 父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはな
らない。
23:23 真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな。
23:24 神に従う人の父は大いに喜び躍り/知恵ある人の親は、その子に
よって楽しみを得る。
23:25 父が楽しみを得/あなたを生んだ母が喜び躍るようにせよ。
23:26 わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に
目を向けよ。

23:27 遊女は深い墓穴、異邦の女は狭い井戸だ。
23:28 彼女は盗人のように待ち伏せし/繰り返し男たちを欺く。
23:29 不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か/いさかいの絶えぬ者は誰
か、愚痴を言う者は誰か/理由なく傷だらけになっているのは誰か/濁
った目をしているのは誰か。
23:30 それは、酒を飲んで夜更かしする者。混ぜ合わせた酒に深入りす
る者。
23:31 酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが
23:32 後になると、それは蛇のようにかみ/蝮の毒のように広がる。
23:33 目は異様なものを見/心に暴言をはき始める。
23:34 海の真ん中に横たわっているかのように/綱の端にぶら下がって
いるかのようになる。
23:35 「打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒
めたらまたもっと酒を求めよう。」
++++
青少年と言われる世代のうちにしっかり読んでおくべき箴言ですね。
いいえ、何歳になっても教訓として学ぶべき内容が満載です。
日本にも身を持ち崩すほどの遊びの表現として「飲む、打つ、買う」と
いう言葉がありますが、箴言ではそれに加えて、強欲な人たちの存在を
意識させ、真理、知識、分別をもって行動するよう促しています。そし
て父と母への思いを深めるようにとも。
大事な教えです。
祝福がありますように。



        関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月22日(木)20時31分39秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.22
ルカによる福音書
◆ペトロ、信仰を言い表す
9:18 イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイ
エスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになっ
た。
9:19 弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エ
リヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もい
ます。」
9:20 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うの
か。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
**
「群集は私のことを誰だと言っているのか」そして、「あなたがたは私のこ
とを何者だというのか」とイエス様は弟子たちに尋ねておられます。ペトロ
は代表して「神からのメシアです」と答えています。模範的な答えです。し
かし、その意味がどれだけわかっているかは不明です。
新約聖書は「イエスとは誰か」「イエスとは何者か」を教えていて、読者そ
れぞれが、「それで、あなたはイエスを何者だと思うのですか」という問い
に答えるように求めています。

これは私たちが簡単に決めるべきことではなく、じっくり考え、じっくり学
び、聖霊に教えられつつ答えるべき内容なのでしょうね。まずは、聖書の解
答をしっかり読み取ることから始める必要があると思います。
祝福がありますように。

++


【癒すことば:箴言】

22:1 名誉は多くの富よりも望ましく/品位は金銀にまさる。
22:2 金持ちと貧乏な人が出会う。主はそのどちらも造られた。
22:3 思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。浅はかな者は通り抜けよう
として痛い目に遭う。
22:4 主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従って来る。
22:5 曲がった道には茨と罠。そこから遠ざかる人は自分の魂を守る。
22:6 若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることが
ないであろう。
22:7 金持ちが貧乏な者を支配する。借りる者は貸す者の奴隷となる。
22:8 悪を蒔く者は災いを刈り入れる。鞭は傲慢を断つ。
22:9 寛大な人は祝福を受ける/自分のパンをさいて弱い人に与えるから。
22:10 不遜な者を追い出せば、いさかいも去る。争いも嘲笑もやむ。
22:11 清い心を愛する人は唇に品位があり/王がその友となる。
22:12 主の目は知識を守り、欺きの言葉を滅ぼす。
22:13 怠け者は言う。「外には獅子がいる。町に出ればわたしは殺される。」
22:14 よその女の口は深い墓穴/主の憤りにふれた者はそこに陥る。
22:15 若者の心には無知がつきもの。これを遠ざけるのは諭しの鞭。
22:16 弱者を搾取して自分を富ませたり/金持ちに贈り物をしたりすれば、
欠乏に陥る。
++
若者への忠告の言葉が印象的な箇所です。
今朝の箴言の主題は「22:4 主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従っ
て来る。」だと思います。
こういう人は寛大な人であり、逆は「不遜な人」となります。しかし、これ
らの言葉は一般的な原則論であり、必ずそうなるというわけではありません。
社会の中には「正直者は馬鹿をみる」ということも多く、謙遜だからといっ
て評価されるわけでもない」という現実があるからです。
しかし、主を畏れ、謙遜に、勤勉に生きるという姿勢は、主が求めているこ
とであり、たとえ、それで貧しいままだとしても、その線で生きるとき、心
の中の平静さが保たれるのだと思います。それは人生を豊かに感じさせ、生
きていて良かったと思える心に通じていると思います。
祝福がありますように。


        関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月22日(木)20時16分53秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.21
ルカによる福音書
◆五千人に食べ物を与える
9:10 使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。
イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた。
9:11 群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、
神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
9:12 日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解
散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を
見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」
9:13 しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」
彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このす
べての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
9:14 というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人
々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
9:15 弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
9:16 すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらの
ために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
9:17 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十
二籠もあった。
+++
弟子たちは群集を解散させるようにとイエス様に提案しています。しかし、
イエス様は、彼らに「あなたがたで彼らに食べ物を与えなさい」と命じまし
た。やがてイエス様が天にお帰りになったとき、弟子たちは自分たちで群集
にパンを与えるという出来事に直面することになるからです。この奇跡は弟
子たちへの訓練でもありました。イエス様は、弟子たちを積極的に用いなが
ら、弟子たちにパンを渡し、それを弟子たちが直接群集に与えて、まるで弟
子たちの手柄にするかのように、配給されました。
こういう体験は弟子たちにとっては、忘れることの出来ない貴重なものにな
ったはずです。そして、人々が集まったとき、どうすればよいのかを考える
決定的な判断の基準になったはずです。
解散ではなく、ケアする方向に心は向いていったのです。群集に対する羊飼
いの役割をイエス様から託されていることを弟子たちは体験することができ
ました。
託された群れのためにパンを配給する作業は、丁寧にみことばを配給する作
業と似ています。
同時にこの奇跡の中でのイエス様の姿は、最後の晩餐の時のイエス様の姿と
重なる面があります。
主は私たちに、常にご自身を与えてくださいます。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
21:1 主の御手にあって王の心は水路のよう。主は御旨のままにその方向を定
められる。
21:2 人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中を測られる。
21:3 神に従い正義を行うことは/いけにえをささげるよりも主に喜ばれる。

21:4 高慢なまなざし、傲慢な心は/神に逆らう者の灯、罪。
21:5 勤勉な人はよく計画して利益を得/あわてて事を行う者は欠損をまねく。

21:9 いさかい好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅に座っている方
がよい。
21:10 神に逆らう者の欲望は悪に注がれ/その目は隣人をも憐れまない。

21:13 弱い人の叫びに耳を閉ざす者は/自分が呼び求める時が来ても答えは
得られない。
21:14 ひそかに贈り物をしておけば怒りはなだめられ/賄賂をふところに入
れてやれば激怒も静まる。

21:17 快楽を愛する者は欠乏に陥り/酒と香油を愛する者は富むことがない。
21:19 いさかい好きで怒りっぽい妻といるよりは/荒れ野に座っている方が
よい。

21:23 自分の口と舌を守る人は/苦難から自分の魂を守る。
21:24 増長し、高慢な者、その名は不遜。高慢のかぎりを尽くす。
21:25 怠け者は自分の欲望に殺される。彼の手が働くことを拒むからだ。
21:26 欲望は絶えることなく欲し続ける。神に従う人は与え、惜しむことは
ない。

21:30 どのような知恵も、どのような英知も、勧めも/主の御前には無に等
しい。
21:31 戦いの日のために馬が備えられるが/救いは主による。
***
この章の中で「21:9 いさかい好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅
に座っている方がよい。」「21:19 いさかい好きで怒りっぽい妻といるより
は/荒れ野に座っている方がよい。」と二回も出てくる格言は、編者がよほ
ど奥さんのことで苦労したのかなぁと思ってしまいます。おそらく女性の立
場からすれば「いさかい好きな夫と一緒にいるよりは」と読み直して同じ結
論だろうと思います。
さまざまな内面的な問題が語られている中にきわめて具体的な家庭内のこと
が出てくると、そこに本音を見るようで安心できます。思わず苦笑いが出て
しまいます。

それにしても、ひとつひとつの短い文章の中に人生の経験が凝縮されたよう
な深みを感じます。
最後の「救いは主による」という宣言は、実に重い響きがあります。救いを
もたらす主が今日も共にいてくださいますように。
祝福がありますように。



       関根一夫







 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月20日(火)21時47分48秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年3月20日(火)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。
寝床を汚してはいけません。なぜなら、
神は不品行な者と姦淫を行う者とをさばかれるからです。
金銭を愛する生活をしてはいけません。
いま持っているもので満足しなさい。
主ご自身がこう言われるのです。

『 わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』

そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。
『 主は私の助け手です。私は恐れません。
人間が、私に対して何ができましょう。』
神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、
思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、
その信仰にならいなさい。

『 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』」
               ヘブル13:4-8(新改訳3)

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨシュア  投稿日:2012年 3月20日(火)21時37分47秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.20
ルカによる福音書

◆ヘロデ、戸惑う
9:7 ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。と
いうのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言
う人もいれば、
9:8 「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が
生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
9:9 しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いった
い、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに
会ってみたいと思った。
+++
ヨハネを殺したヘロデ王にとって、その罪責感は消えていませんでした。イ
エス様の話は聞きたいと思っても、なんとなく自分の愚かな悪事が暴かれる
ような気がして近づきにくかったのでしょう。
私たちの中でも同じことがあるように思います。
キリストに自分の悪を暴かれ、責められるような気がして、聖書の話を聞き
たいけれど、近づけないということはヘロデでなくても、同じ気持ちの人た
ちは少なくないように感じます。
それでも、イエス様の言葉は聞いておく価値があると思います。自分のプラ
イドのために、その価値ある恵みの教えを捨ててしまうのは、あまりに大き
な損失だと思います。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
20:1 酒は不遜、強い酒は騒ぎ。酔う者が知恵を得ることはない。
20:2 王の脅威は若獅子のうなり声/彼を怒らせる者は自分を危険にさらす。
20:3 争いにかかわらないのは立派なことだ。無知な者は皆、争いを引き起こ
す。
20:4 怠け者は冬になっても耕さず/刈り入れ時に求めるが何もない。
20:5 思い計らいは人の心の中の深い水。英知ある人はそれをくみ出す。
20:6 親友と呼ぶ相手は多いが/信用できる相手を誰が見いだせよう。
20:7 主に従う人は完全な道を歩む。彼を継ぐ子らは幸い。
20:8 裁きの座に就いている王は/その目でどのような悪をもふるい分ける。
20:9 わたしの心を潔白にした、と誰が言えようか。罪から清めた、と誰が言
えようか。
20:10 おもり石の使い分け、升の使い分け/いずれも主の憎まれること。

+++
生き方そのものが問われているような箴言の言葉です。
確かにそうだなぁと思える格言がいくつも出てきます。
怠惰にならず、勤勉実直な生き方が奨励されていますが、これは今も昔も
変わりませんね。

祝福がありますように。


          関根一夫





 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月19日(月)22時58分59秒
返信・引用
  主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。



             詩篇 121:7
 

スウィーツバイブル   みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月18日(日)17時09分39秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、ローマの信徒への手紙9章24-26節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

9:24 神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。
9:25 ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。
9:26 『あなたたちは、わたしの民ではない』/と言われたその場所で、/彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」

――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

前回、24節から神様はユダヤ人だけではなく、異邦人の中からも救われるべく選んで下さったということ、そしてその目的はご自身のあわれみの器とし、主の栄光で満たすためだということを学びました。
パウロは旧約聖書のホセア書から、この私たち異邦人の選びについて論証しています。今日はこのホセア書の箇所について、ご一緒に味わうこととしましょう。

さて、では早速25-26節をご覧下さい。

☆★☆★☆★☆★☆
9:25 ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。
9:26 『あなたたちは、わたしの民ではない』/と言われたその場所で、/彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」
☆★☆★☆★☆★☆

この箇所は旧約聖書のホセア書からの引用で、25節がホセア書2章25節(新改訳、口語訳は23節)、そして26節はホセア書2章1節後半(新改訳、口語訳は1章10節後半)からの引用です。
始めに、この箇所なのですが、これは異邦人が救われるという、異邦人に対する預言ではありません。
イスラエルの民の民族的救いの預言です。旧約聖書の時代から今日に至るまで少数であってもイスラエルの民の中で神様を信じている人が起こされています。これを残れる者、レムナントとか霊的イスラエルとか言われます(尚、私たち異邦人クリスチャンは霊的イスラエルではありません。敷いて言えば、霊的異邦人です)。しかし終りの時代に再び民族として神様に立ち返り、愛の関係が回復するという預言です。

つまりこのホセアという預言者が語っているのはこういうことです。
本来神様の民であった筈のイスラエルが真の神様から離れ、偶像のところに行き、偶像礼拝者となってしまいました。
これは姦淫を犯した妻のようで、神様を裏切り、他の神と言われている物に恋い慕い、惹かれて行ってしまい、霊的姦淫を犯してしまった者たち、これがイスラエルの民です。
しかし、時が来たらもう一度イスラエルの民が立ち返り、民族として悔い改め、再び生ける神の子と呼ばれ、神様との愛の関係に入れられるのだという終末の時代に起こる預言を語っているのです。

パウロはそれを異邦人の救いに適用しているのです。
実はこの方法はイスラエルのラビ、つまり祭司が使う旧約聖書の引用法なのです。
パウロはラビとしてその引用法を使って、本来はイスラエルの民の民族的救いの預言であるが、異邦人にもこれが適用されるとここで語っているのです。

さて、このホセアの預言の内容です。
「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛さなかった者を愛された者と呼ばれる。
『あなたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」

これが今、私たちクリスチャンの立場です。
それと同時に将来、イスラエルの民が民族的に神様に立ち返り、その時に生きている彼らが全員イエス様の十字架を見上げるようになり、その時、神様は再び彼らを「生ける神の子ら」と呼ばれ、ご自身との愛の関係を築かれるようになるのです。

クリスチャンである私たちはその前にこの恵みの中に入れて頂いているのです。
これは当然のことではなく、正に神様のあわれみによるのです。
本来滅びるしかない私たちが、不思議な神様の御心により救いに入れられ、神の子として下さいました。

私自身、いつも思うのですが、何故自分だったのだろうかと不思議でしょうがないです。私がクリスチャンになる、家族がクリスチャンであるのではないし、クリスチャンの友人がいたわけでもありません。
しかしそんな私が小学5年生の夏、花火大会を見に行った時に海岸の入り口で配られていた福音書をコンパクトにまとめた小冊子を受け取ったことがきっかけでキリスト教に触れるようになり、そして中学3年の冬、日曜日の朝、たまたま朝早く起きてしまい、手持ち無沙汰にバラエティ番組を見ようと思ってテレビをつけたらキリスト教の伝道番組がやっていて、その番組を通して自分の罪と真剣に向き合い、その場で信仰告白をし、涙ながらに救いに入れられました。
これは神様の不思議な御手の業によります。でもどうしてあの人ではなく私なんだろうかと不思議に思います。でもこれが神様の選びなのです。

私たちは神の子とされたのです。罪人であり、滅びの子であった私たちがです!
これは決して偶然ではありません。神様が私たちを誕生する前から救いに選んでくださった恵みなのです。この恵みを味わっていますか?

私たちは神様の子どもです。最愛の子どもです。大事な御自分の御子を十字架の死に渡す程に愛されているのです。これが私たちです。皆さんが感じようが感じまいが、これが現実であり、事実です。
日々の歩みの中で、私たちが最愛の天のお父様に心開き、信頼するとき、依り頼むとき、天のお父様の私たちへの愛を味わうことが出来ます。

パウロは何度も何度も私たちクリスチャンはイエス様と結ばれている者だと語られています。
イエス様は遠い遙か彼方におられるのではありません。私たちの内おられ、同時に私たちはイエス様の内にいるのです。
イエス様を通して私たちは天のお父様との愛の関係を築くことが出来るのです。イエス様の十字架を通してです。

このお方との愛の関係の中に入りませんか?
そのためには日々、聖書を開き、みことばを味わい、みことばを通して個人的に語ってくださる御声に対して注意深く耳を傾け、みことばを通して主を味わい、主を楽しむのです。そして主に対して心開き、主に依り頼む歩みをすることです。

今週一週間、聖書のみことばを通してお互いに神の子とされた恵みを味わい、主を愛し、主と語り合い、楽しき愛の交わりを持ちませんか。その時、私たちの内側に主の愛が流れ出し、私たちの心が解放され、自由にされていきます。

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。


★☆★☆★☆★☆


 

礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月18日(日)16時48分29秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
2012.03.18

イエスとは誰か? その3
「7つの名前を持つ存在」
ヨハネによる福音書
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかな
らない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため
である。
10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、
羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわ
たしを知っている。
+++++
イエス様はヨハネによる福音書の中で何度か「私は?である」という宣言をな
さいました。
これには、「わたしはある」という神様のお名前にならって、「私は常に、
変わらず、いつでも、この名前の通りの存在である」という意味があります。
私達にとって、イエス様は、その名前通りの役割を果たし続け、永続的にそ
ういう存在として私達と共にいてくださるという意味があります。
代表的なものは
「わたしはいのちのパンである」ヨハネ6:35
「わたしは世の光である」ヨハネ8:12 、9:5
「わたしは道であり、真理であり、いのち」ヨハネ14:6
「わたしは復活であり、いのちである」ヨハネ11:25
「わたしはまことのぶどうの木である」ヨハネ15:1

そして、ヨハネ10章にある「私は羊の門である」と「私は良い牧者である」
という発言です。良い牧者ということについて、考えてみましょう。

1) 盗人という存在、雇われ人という存在

イエス様は、羊のところにやってくる危険な存在として盗人をあげています。
盗人は羊を盗みだして誰かに売り飛ばし、あるいは、殺して肉を食べるとい
うことしか頭にありません。
また、12節にあるように、雇われただけの羊飼いは、自分の身の危険を察知
したら、さっさと羊を置き去りにして逃げて行ってしまう存在です。
私達ひとりひとりを心にかけていてくれる存在は、家族や友人たちの中にい
て欲しいとは思いますが、最後の最後まで誠実にかかわれる人は多くはいな
いかもしれません。
あるいは、気づいたら、利用されていただけだったということもあるかもし
れません。

2)イエスこそ、良い羊飼い

良い羊飼いについては、この章前半の中心的な主題になっています。実はこ
のテーマについては、旧約聖書のエゼキエル書の文章を意識せざるを得ませ
ん。そこには深刻な宗教事情が書かれているからです。こういう言葉が書か
れています。エゼキエル書34章です。
「34:1 主の言葉がわたしに臨んだ。
34:2 「人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに
語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエル
の牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。
34:3 お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを
養おうとはしない。
34:4 お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを
包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探
し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。
34:5 彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ち
りぢりになった。
34:6 わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、わた
しの群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者
もない。
34:7 それゆえ、牧者たちよ。主の言葉を聞け。
34:8 わたしは生きている、と主なる神は言われる。まことに、わたしの群れ
は略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌
食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者
は群れを養わず、自分自身を養っている。
34:9 それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。
34:10 主なる神はこう言われる。見よ、わたしは牧者たちに立ち向かう。わ
たしの群れを彼らの手から求め、彼らに群れを飼うことをやめさせる。牧者
たちが、自分自身を養うことはもはやできない。わたしが彼らの口から群れ
を救い出し、彼らの餌食にはさせないからだ。
34:11 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れ
を探し出し、彼らの世話をする。
34:12 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すよ
うに、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、
すべての場所から救い出す。

こういう事情を踏まえた上で、私は良い羊飼いですと宣言しておられるので
す。

3)何をしてくださるのか?

詩編23編を土台に考えるとわかりやすいかもしれません。羊飼いは羊のため
に、つまり神は私たちのために
1.休み、安息を与え
2.たましいを生き返らせ
3.正しい道を悟らせ
4.恐れから解放し
5、苦難を一緒に歩んでくださる
6.敵に囲まれていても勝利をもたらす
などです。そして、礼拝できる喜びの心を与えてくださるのです。それを永
続的に、私達が生きている限りずっと実行してくださいます。
私たちは、羊のような存在です。愚かで、弱く、迷いやすいのです。羊の幸
せのためには、どうしても誠実で善良な羊飼いが必要です。
イエス様は、「わたしがそれだ」と言うのです。
祝福がありますように。



           関根一夫










 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月17日(土)19時50分38秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.17
ルカによる福音書
◆ヤイロの娘とイエスの服に触れる女
8:40 イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを
待っていたからである。
8:41 そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエス
の足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。
8:42 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそ
こに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。
8:43 ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たした
が、だれからも治してもらえない女がいた。
8:44 この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出
血が止まった。 8:45 イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。
人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを
取り巻いて、押し合っているのです」と言った。
8:46 しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行
ったのを感じたのだ」と言われた。
8:47 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由
とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。
8:48 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して
行きなさい。」
8:49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。
「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」
8:50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ
信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
8:51 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母の
ほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。
8:52 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。
「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」
8:53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。
8:54 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。
8:55 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食
べ物を与えるように指図をされた。
8:56 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないよ
うにとお命じになった。
****
会堂長ヤイロの娘さんが死にそうだというので、彼はイエス様のところに来
て懇願し、イエス様が一緒に家に行って下さることになりました。ヤイロの
心は大きな期待と安堵感で包まれたと思います。ところが家に向かっている
間に、イエス様の足が止められる事件が起こりました。長い間出血が止まら
ず、医者に行っても直らず、困り果てていた女性がイエス様の着物にさわり
癒されたのです。イエス様はそれがどの女性だったのかを確認するため足を
止めました。ヤイロの気持ちはどうだったでしょう。そうこうしている間に
ヤイロのもとに人が来て「お嬢さんさんが亡くなりました。イエス様に来て
いただく必要はないでしょう」という情報が入りました。イエス様はそれを
聞いたとき、間髪いれずに「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれ
ば、娘は救われる。」と割って入りました。そして道を進み、家で彼女を生
き返らせました。
神の愛の出来事として、これらの癒しの記事が書かれているわけですが、こ
の件について、イエス様は誰にも話さないようにと戒めました。それは、彼
らは喜びのあまり誰にでも話し始めてしまうとイエス様のところに人が集ま
りすぎて、十字架への道が困難になる可能性があったからです。
イエス様の本当の目的は病を癒すということよりもむしろ、十字架で人々の
罪を赦し、神との和解を成立させることにありました。それはイエス様にと
って誰にも妨げられてはならない最重要事項だったのです。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
18:8 陰口は食べ物のように呑み込まれ/腹の隅々に下って行く。
18:9 仕事に手抜きする者は/それを破壊する者の兄弟だ。

18:12 破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜。
18:13 聞き従う前に口答えをする者/無知と恥は彼のため。
18:14 人の霊は病にも耐える力があるが/沈みこんだ霊を誰が支えることが
できよう。
18:15 聡明な心は知識を獲得する。知恵ある耳は知識を追求する。

18:20 人は口の結ぶ実によって腹を満たし/唇のもたらすものによって飽き
足りる。
18:21 死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。

18:24 友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある。
****
人間関係のための知恵の言葉です。勤勉、謙遜、誠実などを大事なものとし
て追い求めつつ、言葉を慎みながら生きることが高く評価されています。
今日も、陰口をたたかず、仕事の手抜きをせずに、人を落ち込ませるような
言葉を吐かず、前向きに生きましょう。
祝福がありますように。
関根一夫






 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月16日(金)12時52分44秒
返信・引用
  神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。



           ローマ 8:28
 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月16日(金)11時59分16秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年3月16日(金)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「  永遠を住まいとする高くあげられたきよいお方が、お語りになります。
わたしは高くてきよい所に住んでいるが、そこには、心くだけた
謙そんな人が住む。 わたしは謙そんな人を生き返らせ、
悔い改めた人に新たな勇気を起こさせる。
いつまでもおまえたちと戦い、憤りをぶつけるわけではない。
そんなことをしていたら、わたしが造った全人類は死に絶えてしまう。
わたしは怒って、貪欲な者たちを打った。
ところが、連中は性懲りもなく罪を犯し続け、悪事の限りを尽くした。
彼らのしわざはこの目で見た。 しかし今は、ともかく彼らをいやそう。
彼らを導き、慰め、罪を嘆いて告白するように仕向けよう。
近くにいる者にも遠くにいる者にも、平安があるように。
わたしは彼らをいやす。それでもなお逆らう者は、
少しも静まることのない海のようだ。 かた時も休まず泥を吐き出している。
そのような者に平安はない。 こう神様は断言なさいます。」
          イザヤ57:15-21(リビングバイブル)

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月16日(金)10時56分31秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.16
ルカによる福音書
◆悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす
8:32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。
悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
8:33 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を
下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
8:34 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
8:35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスの
ところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になっ
てイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。
8:36 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次
第を人々に知らせた。
8:37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもら
いたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのであ
る。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
8:38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、
イエスはこう言ってお帰しになった。
8:39 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことご
とく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださ
ったことをことごとく町中に言い広めた。
+++
悪霊に取りつかれた人が解放されるという出来事が記録されています。興味
深いのは、悪霊によって豚をたくさん失った豚飼いたちの反応と、癒された
人の反応です。豚飼いたちは、イエス様にこの土地から出て行ってくれるよ
うにと頼みました。こういうことが起こされたら仕事が出来なくなってしま
うと彼らは考えたのでしょう。それによって、一人の人が解放され、正気に
もどったということが起こったのですが、そんなことより、豚の損失のほう
が大きい問題だったのです。彼らにとっては、悪霊に取りつかれた人の解放
など、それほど重要なことではありませんでした。
悪霊が追い出され、癒された人は、イエス様にお供したいと熱心に申し出ま
すが、イエス様は、自分の家に帰り、そこで自分の身に起こったことを話し
て聞かせるようにと命じました。彼はそのとおり実行しました。一般的に考
えれば、これだけ劇的な変化を経験した人ですから、イエス様の近くにいれ
ば、いわゆる「証し人」としての効果は大きかっただろうと思いますが、イ
エス様は、そういう人をご自分の働きのために用いませんでした。
イエス様の望まれる場所で、イエス様に知られていることを信頼して進めば、
それで良いのです。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
17:1 乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば/いけにえの肉で家を満た
して争うよりよい。
17:2 成功をもたらす僕は恥をもたらす息子を支配し/その兄弟と共に嗣業の
分配にあずかる。
17:3 銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。
17:4 悪事をはたらく者は悪の唇に耳を傾け/偽る者は滅亡の舌に耳を向ける。
17:5 貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者。災いのときに喜ぶ者は赦され
ない。
17:6 孫は老人の冠、子らは父の輝き。
17:7 高尚な唇は神を知らぬ者にふさわしくない。うそをつく唇は高貴な者に
一層ふさわしくない。
17:8 賄賂は贈り主にとって美しい宝石。贈ればどこであろうと成功する。
17:9 愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く。
17:10 理解力ある人を一度叱責する方が/愚か者を百度打つよりも効き目が
ある。
****
「17:1 乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば/いけにえの肉で家を満
たして争うよりよい。」
「物がなくても工夫しながら仲良く暮らすことができる」という発想を、「そ
んなことは理想だ」と切り捨てる傾向はないでしょうか。現実的には、品物
があふれていながら、相変わらず物がない、お金がないという不満や不安で
いっぱいになっている場合が少なくありません。決して物がないわけではな
いのに、足りなさばかり感じ、実際にはお金がないわけではないのに不平不
満が多いのは、そもそも、「生かされているからこそ生きていられるのだ」
という実感がないからかもしれません。確かにお金がなければ困りますし、
物がなければ生きられません。しかし、平安は人間の心の持ちようで生まれ
るので、物の多さや少なさで決まるものではありません。一緒に悩んだり、
一緒に笑えるならそこに共感の心が生まれ、ある種の平安が生まれます。相
互の間に存在を大切にする心がなければ、平和は生まれません。やっぱり、
愛なんですよね。
祝福がありますように。



        関根一夫






 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月15日(木)23時27分45秒
返信・引用
  人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。


            箴言 29:25
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月15日(木)16時04分8秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.15
ルカによる福音書
◆突風を静める
8:22 ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に
渡ろう」と言われたので、船出した。
8:23 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろし
て来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。
8:24 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」
と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって
凪になった。
8:25 イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子た
ちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波
も従うではないか」と互いに言った。
***
イエス様が一緒にいても、突風におびえ、あわてる弟子たちの姿はどう考え
ても私の姿だなと思います。
「自分たちで何とかしなければならないので、がんばるぞ」という時に信仰
を発揮させるというのもあるのかもしれませんが、イエス様が一緒にいるわ
けですから、このお方が、私たちを見捨てておぼれさせるはずはないと、「イ
エス様を全面的に信頼するという姿勢」がここでは求められていたのです。
信仰とは、「神に知られ、神に愛されている」ことへの信仰であり、いわば、
神に手を取ってもらっているのだということへの信頼なのです。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】

16:13 正しいことを語る唇を王は喜び迎え/正直に語る人を愛する。
16:14 王の怒りは死の使い。それをなだめるのは知恵ある人。
16:15 王の顔の輝きは命を与える。彼の好意は春の雨をもたらす雲。
16:16 知恵を得ることは金にまさり/分別を得ることは銀よりも望ましい。
16:17 正しい人の道は悪を避けて通っている。魂を守る者はその道を守る。
16:18 痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。
16:19 貧しい人と共に心を低くしている方が/傲慢な者と分捕り物を分け合
うよりよい。
16:20 何事にも目覚めている人は恵みを得る。主に依り頼むことが彼の幸い。
16:21 心に知恵ある人は聡明な人と呼ばれる。優しく語る唇は説得力を増す。
16:22 見識ある人にはその見識が命の泉となる。無知な者には無知が諭しと
なる。
16:23 知恵ある心は口の言葉を成功させ/その唇に説得力を加える。
16:24 親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。
16:25 人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となることがある。
16:26 労苦する者を労苦させるのは欲望だ。口が彼を駆り立てる。
16:27 ならず者は災いの炉、その唇には燃えさかる火。
16:28 暴言をはく者はいさかいを起こさせる。陰口は友情を裂く。
16:29 不法を行う者はその友を惑わして/良くない道を行かせる。
16:30 人は目を閉じて暴言を考え出し/悪を果たして口をすぼめる。
***
「正直、分別、見識、知恵、」を求めることの大切さが語られ、「正しい言
葉」「親切な言葉」が高く評価されています。「16:24 親切な言葉は蜜の滴
り。魂に甘く、骨を癒す。」
逆に、高慢、驕り、そして「暴言」「陰口」の陰険さ、悪い影響がしっかり
教えられています。
新約聖書の中にあるヤコブの手紙には、同じような警告が書かれています。
「3:5 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさ
い。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
3:6 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、
全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やさ
れます。
3:7 あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制
御されていますし、これまでも制御されてきました。
3:8 しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪
で、死をもたらす毒に満ちています。
3:9 わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって
造られた人間を呪います。
3:10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このよう
なことがあってはなりません。」
言葉、気をつけたいですね。
祝福がありますように。



      関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月14日(水)10時42分38秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.14
ルカによる福音書
◆イエスの母、兄弟
8:19 さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくこ
とができなかった。
8:20 そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立ってお
られます」との知らせがあった。
8:21 するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて
行う人たちのことである」とお答えになった。
***
イエス様の家族はこの場面ではまだ、イエス様を救い主とは信じていないよ
うです。できればイエス様を連れて帰りたいという願いを持っていたのかも
しれません。イエス様は、いわゆる地上における肉体的名意味での家族を否
定しませんが、神の言葉を聞いて行う人たちのことを、イエス様は自分の家
族、自分の身内と考えていたことがわかります。いわば、「神の家族」とい
う考えです。イエス様の言葉からは、地上の家族よりも深い絆がそこにある
ように感じます。
教会での礼拝におけるかかわりは、まさに神の家族としての関係なのです。
祝福がありますように。


++++

【癒すことば:箴言】

15:1 柔らかな応答は憤りを静め/傷つける言葉は怒りをあおる。
15:2 知恵ある人の舌は知識を明らかに示し/愚か者の口は無知を注ぎ出す。
15:3 どこにも主の目は注がれ/善人をも悪人をも見ておられる。
15:4 柔らかな応答は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。

15:7 知恵ある人の唇は知識をふりまく。愚か者の心は定まらない。
15:8 主は逆らう者のいけにえをいとい/正しい人の祈りを喜び迎えられる。
15:9 主は逆らう者の道をいとい/従うことを求める人を愛される。
15:10 道を捨てる者は諭しを不快に思う。懲らしめを憎む者は死に至る。
15:11 陰府も滅びの国も主の御前にある。人の子らの心はなおのこと。
15:12 不遜な者は懲らしめられることを嫌い/知恵ある人のもとに行こうと
しない。

15:13 心に喜びを抱けば顔は明るくなり/心に痛みがあれば霊は沈みこむ。
15:14 聡明な心は知識を求め/愚か者の口は無知を友とする。
15:15 貧しい人の一生は災いが多いが/心が朗らかなら、常に宴会にひとし
い。
15:16 財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは/乏しくても主を畏れる方
がよい。
15:17 肥えた牛を食べて憎み合うよりは/青菜の食事で愛し合う方がよい。
15:18 激しやすい人はいさかいを引き起こし/忍耐深い人は争いを鎮める。

15:26 悪意を主はいとい、親切な言葉を清いとされる。
15:27 奪い取る者の家には煩いが多い。賄賂を憎む者は命を得る。
15:28 神に従う心は思いめぐらして応答し/神に逆らう口は災いを吐く。
***
人間関係の一番大きな問題は、言葉によってもたらされるものかもしれませ
ん。傷つける言葉、よこしまな舌で深い痛みを受けた人たちが、カウンセリ
ング室にはたくさん集まっています。一方で、柔らかな応答、 知恵ある人の
舌、親切な言葉で心に安心を感じる人も多くいます。ひと言多くても、ひと
言少なくても相手に対する感じ方が変わります。間の取り方で伝わり方が変
わります。口は災いのもととはよく言ったものです。
ひとたび口から出された嫌味な言葉は、なかなか忘れてはもらえず、不信感
は去りません。
心を明るく生きるためには、本当に言葉を大切に、温かい心を伝えるために
言葉を用いる努力が必要です。
幸せな心が生まれるような言葉を分かち合いたいですね。
祝福がありますように。



          関根一夫






 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月13日(火)15時53分46秒
返信・引用
  神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。



               ピリピ 2:13
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月13日(火)15時15分26秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.13
ルカによる福音書
◆「ともし火」のたとえ
8:16 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたり
する人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
8:17 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、
人に知られず、公にならないものはない。
8:18 だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、
持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
****
イエス様が来たのは、まさに、世の中にともし火が置かれたような出来事と
同じなのです。だから、イエス様によって人間の心の様々な思いや考えが明
るみに出されることになります。「どう聞くべきか注意するように」という
警告は、キリストの言葉を誤解したり、曲解したり、反抗的だったりしたら、
それはそのまま神に知られるところとなり、言い逃れの余地がなくなるので
す。
イエス様の言葉が神の希望の光のはずなのに、それを無視し続けるなら、光
の中で目を覆って生きているようなものであり、祝福は去ってしまうことに
なるのです。
世の光として来られたお方の言葉には注目する必要があるのです。
祝福がありますように。
関根一夫



++++

【癒すことば:箴言】

14:3 無知な者の口には傲慢の杖。知恵ある人の唇は自分を守る。
14:6 不遜であれば知恵を求めても得られない。聡明であれば知識は容易に得
られる。
14:7 愚か者の前から立ち去るがよい。彼に知識ある唇を認めることはできな
い。
14:8 思慮深い人は自分の知恵によって道を見分ける。愚か者の無知は欺く。
14:9 無知な者は不遜で互いをなじる。正しい人は互いに受け入れる。
14:10 魂の苦しみを知るのは自分の心。その喜びにも他人はあずからない。
14:11 神に逆らう者の家は断絶する。正しい人の天幕は繁栄する。
14:12 人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となることがある。
14:13 笑っていても心の痛むことがあり/喜びが悲しみに終ることもある。
14:14 二心ある者は自らの道に/善人は自らの業に飽かされる。
14:15 未熟な者は何事も信じこむ。熟慮ある人は行く道を見分けようとする。
14:16 知恵ある人は畏れによって悪を避け/愚か者は高慢で自信をもつ。
14:17 短気な者は愚かなことをする。陰謀家は憎まれる。
14:23 どのような苦労にも利益がある。口先だけの言葉は欠乏をもたらす。
14:30 穏やかな心は肉体を生かし/激情は骨を腐らせる。
14:31 弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。
***
無知、高慢、不遜、未熟、短気、などいろいろな問題の種となりそうな事柄
が取り上げられています。どこにでもある出来事の中に、恐ろしいほどの「悪」
が積もっていきます。
「14:30 穏やかな心は肉体を生かし/激情は骨を腐らせる。」とありますが、
直情的な怒り、憤りを収めることを知らないと、感情に振り回され、あのカ
インが弟を殺してしまったように、とんでもないことをしてしまう可能性が
あるのです。そして、彼は後になって後悔するのです。穏やかな心はどうや
ったら手に入るのでしょう。
「穏やかな心」とは、「神に愛されていることを知って喜ぶ心」であり「神
に赦されていて受け入れられていることを知っている心」と考えることがで
きます。とすると、そもそも、自分は神に愛される資格もなく、赦されるた
めには大きな犠牲が必要だったのだということを認めるところからはじめな
ければなりません。
主を畏れる心と同じ質のものなのです。そこに謙遜の素地があるのです。
祝福がありますように。


    関根一夫






 

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